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「ロック・レジェンズ <ジェネシス>」(2013年作品)感想 [音楽]

3DD PRODUCTIONS制作の音楽番組「ロック・レジェンズ」season1よりジェネシス編。



ジェネシスのデビューは1969年。デビュー作は振るわなかったが2作目でブレイク。プログレッシブバンドとして成功を収める。

当時のステージパフォーマンスは主にピーター・ゲイブリエルが担当しており、奇抜なファッションが注目を集めていた。ファッションというよりほとんど被り物の世界だ。彼の劇場型のパフォーマンスが軋轢を生んでとうとう脱退することになってしまう。



ピーター・ゲイブリエルに続いてクラッシック色が強くバンドの方向性を決定づけていたスティーヴ・ハケットも脱退しピンチに陥った彼らはフィル・コリンズをヴォーカルに据えて再出発する。このとき作った「そして3人が残った」が大ヒットする。

スティーヴ・ハケットの脱退で独自のメロディーラインを失った彼らはよりリズム重視の音楽に変わっていき、これがのちに80年代の気風と合わさってポップサウンドとして結実していく。

フィル・コリンズがソロでの成功をバンドに持ち込む形でジェネシスはどんどん大きくなっていき、長期活動する60年代デビューのバンドのひとつになった。80年代には彼らのスタジアムライブでの革新的照明装置がのちに世界標準になっていく。



フィル・コリンズ色を強めたことが、のちに彼が脱退した際の足枷となったもののバンドは活動継続を決め、新しいヴォーカルにレイ・ウイルソンを加入させた。当時の曲は聴いていない。この番組でほぼ初めて聴いたけど、声がかなり違っていてボビー・キンボール脱退後のTOTOみたいになっていたな。

のちにフィル・コリンズが再加入し、一番売れていたころのメンバーでツアーを開始。フィル・コリンズの引退によって活動を停止する。

個人的にジェネシスはフィル・コリンズのソロで存在を知り、主にプログレ時代の曲を聴いた。プログレとはいうもののとてもポップで聴きやすい。ちょっと長い曲があるだけだ。

最初のアルバムはジョナサン・キングの影響が強く、初期のその後はピーター・ゲイブリエルの感性が支配し、中期はスティーヴ・ハケットの音になり、ハケット脱退後はフィル・コリンズの影響でバンドの方向性が決まった。

これだけコアになる表現者がたくさん在籍して、しかもコアになった人の音で音楽を作り、長く続いたバンドも珍しい。中期以降はフィル・コリンズの音作りや人間性に頼りきりになってしまったが、彼がいなかったらとっくに潰れていた。

ピーター・ゲイブリエル(ガブリエル)の表記だけはいつも迷うのよね。小林克也の発音に合わせておきました。




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「ロック・レジェンズ <ブライアン・フェリー>」(2013年作品)感想 [音楽]

3DD PRODUCTIONS制作の音楽番組「ロック・レジェンズ」season1よりブライアン・フェリー編。



ロキシー・ミュージックのヴォーカリストやソロでも有名なブライアン・フェリーの特集。

ロキシー・ミュージックは70年代のバンドで解散も70年代だが、それ以降ブライアン・フェリーのソロが好調だったこともあってたびたび再結成し、その都度彼も参加している。ブライアン・イーノが参加していたバンドとしても非常に有名だ。

80年代にはすでにブライアン・フェリーは大御所扱いされており、デビット・ボウイなどと並ぶ名声があったが、「TOKYO JOE」が90年代にドラマの影響で日本でヒットしてからは洋楽ファン以外からも認知されている。このドキュメンタリーではイギリス人から見た彼の成功が描かれている。









美術大学を出たブライアン・フェリーはいくつかのバンドに参加したのちにロンドンへ出てロキシー・ミュージックを結成すると、当時流行しつつあったグラム・ロックのような奇抜なファッションと確かな音楽性ですぐにチャートの常連になっていく。

すぐにイーノが脱退して音楽の方向性は変わり、またカバー曲も多く作った彼らはオーソドックスに近づいていくが、完全に保守的になることがなかったのはひとえにブライアン・フェリーの歌声によるものだと思っている。彼の不安定で何かの楽器のようなビブラートがあるだけで、彼らのオリジナルな音になってしまうのだ。

80年代にはさらなるメンバー脱退を経てダンスミュージックに接近していくも、ブライアン・フェリーが歌っている限り彼らのオリジナリティーが失われることはなかった。ところがやはりこの番組では80年代の彼らに対して否定的なんだね。ソウルとか前衛的とかそういうものに対する盲目的な信頼がベースにあって、価値観が偏っている。

単に80年代が嫌いなだけじゃねーかって。うるせーよ。

その後ロキシー・ミュージックはメンバーのソロ活動のために解散。ブライアン・フェリーはソロに専念し、1987年の「Bête Noire」では元ザ・スミスのジョニー・マーと共作、スミス時代の曲にブライアン・フェリーが作詞するということが起きて、これが当時のオレには大きな出来事だったりしました。



相変わらずの80年代軽視番組ですが、70年代のミュージシャンが80年代に音を変えるのは自然なことで、90年代まで生き残れば大御所として贅沢なアルバムを作る環境が整うのも当然。

そういう番組なのはわかっているが、ロックに殿堂は似合わない。若者が1発当てようと奇抜なことをやるだけではなぜいけないのか。







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「ロック・レジェンズ <ブラー>」(2013年作品)感想 [音楽]

3DD PRODUCTIONS制作の音楽番組「ロック・レジェンズ」season1よりブラー編。



ロックの殿堂入りしたバンドやミュージシャンを紹介する英国の音楽番組。今回はブラー。

うすうす気づいていたのだが、ロックの殿堂入りしたバンドって70年代メインのバンドと90年代メインのバンドばかりで80年代は飛ばされているよね。ブラーが紹介されたってことはすぐにオアシスもあるのだろうが、本当に80年代は嫌われているんだな。



ブラーやザ・ストーン・ローゼスとかは聴いていたけど、そんなに魅力的じゃなかった。正直オアシスもあまり好きじゃない。殿堂入りですかそうですか。



そんなに褒め称えられてもね。

おそらく欧州自体がそんなに魅力的じゃなくなってしまっていて、音楽評論もとっくに死に絶えていたが90年代なんだと思うよ。いつまでも彼らは自分たちがビートルズを生み出すと信じていて、次のビートルズはこの子たちだ、この子たちは凄いんだと必死に宣伝するけども魅力がないからどうでもよくなっているという。

90年代の洋楽が好きな連中とは話が合わんな。

おそらく世界的に戦後生まれのベビーブーマー世代(日本でいう団塊の世代)が世界的にハッピーだった80年代が嫌いで、「本格的なもの」と彼らが判断するものだけ評価する仕組みが出来上がり、80年代を嫌っているのだろう。

団塊もバブル世代が大嫌いだからな。正直90年代の英国の音楽なんて沈鬱で聴いていられない。




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「ロック・レジェンズ <ヴェルヴェット・アンダーグラウンド>」(2013年作品)感想 [音楽]

3DD PRODUCTIONS制作の音楽番組「ロック・レジェンズ」season1よりヴェルヴェット・アンダーグラウンド編。



ヴェルヴェット・アンダーグラウンドを最初に聴いたのは高校1年の夏季講習の帰り。当時の彼女がウォークマンに差したイヤフォンの片方を耳の中に入れてきて、不思議なサウンドに何とも言えない気持ちになった。まぁ一番驚いたのはウォークマンの音質だったのだが。

ルー・リードやニコのこと、アンディ・ウォーホルのことなどはマックの店内で教えてもらった。当時はハンバーガーが異常に安くて、たしか120円くらいだったのだが、のちに円高になって80円まで下がったりする時代だ。

すぐにレンタル屋に観に行ったんだけど全然なくて、タワーレコードへ行って輸入盤を買った。それがあの有名なバナナのジャケットのアルバムだった。



前衛芸術の発信地だった当時のNYにジャストフィットした不思議なバンドがヴェルヴェット・アンダーグラウンドだった。彼らは小さなクラブで演奏しているところをちょうどバンドを探していたアンディ・ウォーホルの目に留まり、彼の庇護を受ける形でデビューする。そのときアンディ・ウォーホルが連れて来たのがニコだ。

彼らはイギリスや西海岸の音楽や50年代のロックでもない、いわば新しいロックの立ち位置にいたグループだった。商業的にテレビスターとして華々しい活躍をするのではなく、芸術家のたまり場でロックを奏でて他のアーティストに影響を与えた彼らの活動が、のちにニューウェーブのような活動を産んだと言っていい。

彼らの活動が、アート作品のようにロックミュージックを作る先鞭となった。

商業的に成功したバンドではないが、どうやら彼らもロックの殿堂入りしていたようだ。

何でも吸収してしまうころだったから何でも聴いたけども、アート系のロックが個人的に好きになったのはあの夏のヴェルヴェット・アンダーグラウンドがきっかけだった。

女の子の何気ないちょっとした行動が、人の一生の好みを決めてしまうのだから不思議なものだ。







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「ロック・レジェンズ <QUEEN>」(2013年作品)感想 [音楽]

3DD PRODUCTIONS制作の音楽番組「ロック・レジェンズ」season1よりQUEEN編。



1980年代に日本で洋楽ブームが起こったとき、誰もが聴いていたのがQUEENであった。男子女子問わず圧倒的な知名度を誇っていたものだ。ブライアン・メイはマジ天才。

初期の2枚のアルバムも素晴らしいのだが、3枚目以降はQUEENでしかあり得ない独自のサウンドに昇華され、見紛う存在がないという特異な地位を築いていく。

70年代前半、英国ではQUEENの評価は芳しくなくて売り上げも大したことはなかった。ところが日本ではデビッド・ボウイの人気をかっさらう形で先行して人気バンドとなっていく。1975年に日本の音楽雑誌がプッシュして売れたというが、その前から有名になりつつあったはず。「ミュージック・ライフ」が売り出したから売れたというのはどうだろう?

3枚目のアルバムが世界的にヒットしたころにはかなり日本での人気も定着しており、80年代に洋楽ブームが起きたときは押しも押されぬビッグバンドだった。

彼らが目指したスタジアムロックは、70年代においてパンクやニューウェーブのアーティストからは散々からかわれバカにされ、フレディ・マーキュリーなど「バレエシューズを履いたおっさん」みたいに呼ばれるが、どんな姿かたちをしていようとも彼らの大きな評価は覆らなかった。

小さなライヴハウスですら客と馴染めず喧嘩するような対人スキルの低いパンクバンドと違い、フレディ・マーキュリーは相手は何十万人いても、どこの国のどんな人種でも必ず楽しませ、熱狂させた。

パンクバンドの画一的な個性など寄せ付けないほど、QUEENは独自で偉大であった。彼らは1980年初頭に世界的なロックバンドとしての人気を確立する。

ところが80年代は音楽の変革期で、シンセサイザーを使ったものが主流になっていた。それまで電子音を使わなかったQUEENだったが、「THE GAME」で初めて使用し、何曲かヒットを飛ばす。音楽的にはかなりの冒険だったはずだが、無難に自分たちの音楽に取り入れるところは素晴らしいし、高音のキンキンした固い音を選択しなかったのもすごいと思う。

そのあとは多くの人が知っている通り、バンドは最後までビッグであり続け、80年代にはメンバーそれぞれがソロ活動で成功し、すぐに元のメンバーで活動を再開して話題になり、人気が衰えぬままフレディ・マーキュリーがあっけなく死ぬ。

だがそんな晩年のことや復活した新生QUEENのことはさておき、このドキュメンタリーは「フラッシュゴードンのテーマ」について一言も言及がない。

テッドと一緒に殴りに行くぞ、ボケ。




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「ロック・レジェンズ <トム・ペティ>」(2013年作品)感想 [音楽]

3DD PRODUCTIONS制作の音楽番組「ロック・レジェンズ」season1よりトム・ペティ編。



トム・ペティ&ハート・ブレイカーズ。ああそうですか、彼もレジェンド扱いなんですか。

60年代や70年代の古いバンドや歌手ばかりならレジェンド扱いでも別に気にならないのだが、グリーン・デイが入ってるからなんか釈然としない。80年代全否定ですか。そうですか。

自分が最初に聴いたアルバムはこれ。



イメージでは西海岸特有のロックで、アメリカンなミュージシャンとして聴いていた。さほど熱心なファンではないが、当時の洋楽ファンはひとつのバンドや歌手のファンというわけではなく、面白そうなアルバムなら何でも手に取って、買ったりレンタルしたりしたものだ。レコードのレンタルは傷がつかないか緊張したなー。

別のバンドのアーティストと共演することも多く、オレが好きだったのはフリートウッド・マックのスティービー・ニックスとデュエットした「インサイダー」。この番組でも取り上げられ、プロモーションビデオの一部が入っていて懐かしくてしょうがない。スティービー・ニックスのファーストアルバム「Bella Donna」は大好きだった。「Edge of Seventeen」が好きだったが、トム・ペティから提供された「Stop Draggin' My Heart Around」はとても売れて流行っていたものだ。

ユーリズミックスのデイヴ・スチュワートと共作したのは1985年のアルバムで、このプロモーションビデオは当時繰り返し放送されていたものだ。ソロアルバムではジョージ・ハリスンと共作している。顔が広いというより、人柄が良かったんでしょうなぁ。

1987年のアルバムではボブ・デュランと共作。もうこのころになると完全に興味を失ってトム・ペティは聴かなくなっている。オレにとっては西海岸っぽい彼の音楽はなどのようなAOR扱いだった。

1988年には大物ミュージシャンたちとトラヴェリング・ウィルベリーズを結成。これも結局聴いてないな。名前だけは知っている。

結局・・・、なに?(笑)トム・ペティさんは人柄が良く、多くの人々に愛されましたみたいな結論でいいのだろうか? ロックの殿堂に入ってるロックバンドはろくでもない奴らばかりというか、そもそも本当にロック的な人間は殿堂入りするはるか前に死んでるよね。

そうなのだ。ロックンローラーは長生きしない。ジャニス・ジョプリンみたいに速攻で死んでくれないとロックっぽくないだろうと。

ロックの殿堂に入ったような連中はロックじゃないんだからもっとすぐ死んじゃった奴や売れなくなった奴を取り上げてくれと、そういう結論でいいのか?

いーーや、オレは間違ってない(確信)










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「ロック・レジェンズ <ロッド・スチュワート>」(2013年作品)感想 [音楽]

3DD PRODUCTIONS制作の音楽番組「ロック・レジェンズ」season1よりロッド・スチュワート編。





この番組のスタンスと自分の音楽遍歴がまったく合わないのだが、ロッド・スチュワートに対する扱いも同様であった。

80年代から洋楽を聴き始めた自分にとってロッド・スチュワートは浮き沈みの激しい音楽業界で70年代から生き残ってきた古参歌手であり、良い楽曲を作りソロで売れる歌手であった。彼の80年代に出したヒット曲が大好きで、ライブでは「セイリング」を聴くのが好きだった。しかしこの番組では全否定である。曰く80年代は退屈で低迷期であったと。

しかし番組で解説している連中の話はまるでウソだ。70年代の大スターだったロッド・スチュワートが80年代にさほど売り上げが芳しくなかったのは1世代前の歌手だったからだ。ロックなんてものはしょせん流行歌だから、ひと昔前の音楽ほど古ぼけて感じる。普通は時代が一回りしたところで新しい歌手ほどには古い歌手は売れなくなる。それはファンが子育てに入るからだ。70年代にロッド・スチュワートに夢中だった男女は彼の曲をバックに恋をし、家庭を持ち、音楽を聴かなくなる。

むしろロッド・スチュワートやデヴィッド・ボウイはアメリカに渡ったことで音楽的にも新しい刺激を受けて、また新天地の新規のファンを掴んだことで生き残ったのである。80年代のダンスミュージックへの接近によって音楽的な質が落ちて売れなくなったとするのはまったくのウソである。70年代のスターたちの多く、クイーンもキッスも80年代は生き残るのに必死だった。80年代は彼らの時代ではなかった、それだけのことだ。

90年代に入り再び売れ始めたのは、アンプラグドの流れに上手く乗ったからだ。これはエリック・クラプトンにしろ提案者のジョン・ボン・ジョヴィにしろ、演奏に自信のある人間にとっては良かったかもしれないが、演奏がさほど上手くはない、表現衝動だけで音楽を志向する人たちからチャンスを奪う暴挙であり、ロックはおっさん臭いものになり果てて洋楽は輝きを失ったのだ。

ブルースというものに至上の価値を置き、それに接近するというのは音楽評価のひとつの側面に過ぎず、別にブルースなどなくても音楽は奏でられる。一発屋でも何でも輝いてみせると構えた若者をいかに集めるかが重要なのに、アンプラグドは勝手に敷居を上げ、ロックは自滅したのだ。

ロッド・スチュワートという人物は、浮き沈みの激しいショービジネス界で生涯一線級に留まり続けたショーマンであって、音楽の探求者でも何でもない。

時代に求められるものを演じてきた、それだけのことだ。80年代、彼は素晴らしい楽曲を多く発表しており、むしろ70年代よりバラエティーに富んで面白いくらいだ。








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「ロック・レジェンズ <ピンク・フロイド>」(2013年作品)感想 [音楽]

3DD PRODUCTIONS制作の音楽番組「ロック・レジェンズ」season1よりピンク・フロイド編。




ピンク・フロイド初体験はアルバム「ファイナル・カット」の中の「The Fletcher Memorial Home」のプロモーションビデオだった。当時小林克也が「ベスト・ヒット・USA」という番組をやっていて、その中で紹介されたのをたまたまテレビで観たのがきっかけだった。

そのころすでにピンクフロイドはバンドとしては終わっており、「ファイナル・カット」は実質メンバーのロジャー・ウォーターズのソロだと知ったのは随分あとのことだった。このバンドが60年代のサイケデリックの時代から活動している古いプログレッシブ・バンドであることは知っていたが、後期から逆向きに聴いていったので、そのサウンドの素晴らしさを実感したのはキングクリムゾンに嵌ったころだった。

プログレッシブ・ロックというものがこの世にあるのだと知ったころ、世間ではカルチャークラブが流行っていたが、そっちも追いかけつつどんどんこのふたつのプログレバンドに嵌っていった。高校の同級生で同好の士が多くいたのも手助けとなり、80年代なのにオレの勉強部屋は怪しいサイケデリックな雰囲気に包まれていった。

あいつ、ちょっと変だぞという噂はすぐに伝わるもので、我が家には怪しげな奴らが集結するようになった。当時は芸術系の部活すら体育系っぽい雰囲気だったので、課外活動は我が家の自宅で行われるようになり、あの健気な我が子はどこへ行ったと両親は涙に暮れたものだ。

サイケでアニメな我が家はかなり狂った雰囲気に包まれ、誰彼となく買ってくる古いアルバムが日夜再生されたものだ。マイク・オールドフィールドの「チューブラー・ベルズ」などはクッソ長い曲なのに全部覚えた。いや、キングクリムゾンもピンクフロイドも全部覚えた。なぜあの記憶力を勉強に使わなかったのだろうかと悔やまれる。

オレは70年代中期から80年代の作品が好きだが、こうしてドキュメンタリーとしてバンド結成当初から眺めてみると、シド・バレットが曲を書いていた初期の作品も味わい深いものがある。ベルベットアンダーグランドみたいな不思議な感じだ。

しかしシドはLSDをやりすぎて統合失調症になってしまい、次第にメンバーからハブられてしまう。新たに加入したデヴィッド・ギルモアによって安定を得たバンドは、彼のギターサウンド中心に音を組み立てていくことになる。

中期の傑作アルバムのひとつ「原子心母」はこのころの作品。高校生の頃はこのアルバムを理解してくれる友人に恵まれ幸せな人生だったのに、社会人になってからは家でも会社でもひた隠しにしなければならなくなったのだから皮肉なものだ。一時徒歩で通勤していたことがあり、ちょうど夕焼けの時間帯に当たったときは「デブでよろよろの太陽」を聴きながらしょんぼり歩いたものだ。

1979年にはおそらく最高傑作の「ザ・ウォール」が発表される。「ファイナル・カット」は1983年だ。どちらもいま聴いても素晴らしいアルバムで、暗く重々しい雰囲気はロジャー・ウォーターズの感性によるものであるという。バンドにとって独裁化は好ましくはなかったかもしれないが、ロジャー・ウォーターズが独裁的に作り込まなければ完成度は下がっていただろう。

ピンクフロイドにしろキングクリムゾンにしろ、誰も真似できない独特のサウンドが魅力だ。時代的な事柄をテーマにしつつも独自のサウンドであるために模倣が効かず、どちらもいまだにオリジナルアルバムが売れ続けている。

どの楽曲も素晴らしい。インタビューなどはほとんどないが、この奇妙なバンドに興味のある若者の入門編にはちょうどいいドキュメンタリーであった。













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「ロック・レジェンズ <ポール・サイモン>」(2013年作品)感想 [音楽]

3DD PRODUCTIONS制作の音楽番組「ロック・レジェンズ」season1よりポール・サイモン編。





もはやロックちゃうやんけと思わないでもないが、サイモン&ガーファンクルでお馴染み、というかソロの方がはるかにキャリアが長いけども、ポール・サイモン編。

サイモン&ガーファンクルは親父が好きで「コンドルは飛んでいく」と「サウンド・オブ・サイレンス 」は家にシングルがあった。「サウンド・オブ・サイレンス 」の方は猫がションベンをひっかけて捨てられてしまった。

小学生だったオレがアニソンと同時に日本のフォークソングを聴くようになったのはこの2枚のシングルに影響を受けたからだ。イギリスのフォークソングに行かなかったのは英語がわからなかったからである。メロディーは覚えても、何を歌っているのか小学生にはわからなかった。

高校生のときにNYのセントラル・パークで行われたライブはテレビで親父と一緒に観た。親父がほとんどの曲を正確に歌えるのを見て驚いたものだ。ビールを飲んでいたので滅多に弾かないギターもポロポロやり出した。なんであの人は日本のフォークが嫌いなくせにサイモン&ガーファンクルは聴いていたのかいまとなっては知る由もない。

セントラル・パークでのコンサートのころ、この番組によると彼らは売れなくなっていたらしい。その後のソロ活動でワールド・ミュージックの方向性に舵を切り、いまのポール・サイモン像が確立されていったようだ。たしかにフォークソング時代のポール・サイモンのイメージはいまでは希薄だ。

キャリアのピークを何度も作り上げるミュージシャンばかり取り上げられると思ったら、ロックの殿堂入りした人たちばかりなのね。ようやく理解しました。





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「ロック・レジェンズ <ニール・ダイアモンド>」(2013年作品)感想 [音楽]

3DD PRODUCTIONS制作の音楽番組「ロック・レジェンズ」season1よりニール・ダイアモンド編。




んーこの平尾昌晃のような曲調。名前しか知らなかったオレにとっての謎の人物ニール・ダイアモンドがどんな人なのかザックリ理解できた。本来そういう趣旨の番組なのだろう。

どちらかというとロックバンドなどよりはるかに音楽のメインストリームにいた彼は、70年代に突然アフリカンリズムを取り入れ、前衛的な作品を作り上げていく。こうしたワールドミュージックへ接近した時代の曲調はオレの知識の範囲ではピーター・ガブリエル(ピーター・ゲイブリエル)に近い。

と思ったら番組でもそう紹介された。

番組で流れる曲を聴いた限りとても素晴らしいポップソングを作っており、ライブパフォーマンスも素晴らしい。しかも晩年に至るまでずっと一線で活躍していたのに、なんでオレは聴かなかったんだろうなー。カーペンターズとかは聴くのに。

我が家は母親がフレンチポップが大好きな人で、いつもフランス語の歌がプレイヤーに乗っていた。父親はどちらかというとアメリカンポップの好きな人だったので、親父のレコードコレクションの中にはあったのかもしれない。モンキーズとかは置いてあった気がするな。

ちょっとこれは気になるアーティストであった。

歳をとってから新規に曲を覚えようとしないのだが、ニール・ダイアモンドのポップソングは普遍性があると言ったらいいのか、すぐにメロディーを覚えてしまいそうで、年寄りにも優しいかもしれない。

映画「パルプ・フィクション」の劇中歌が彼の曲だとは知らなかった。

あのシーンは凄く印象に残ってるわ。





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