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「モンスタートラック」(2017年作品)感想 [映画]

これはノースダコタの片田舎を舞台にした映画。ノースダコタをディスってるのを見ると「パタリロ」を思い出すな。

シェールオイル採掘に支えられた田舎町の片隅で、ある日地下深くの水脈を突っ切ってドリルを入れたところ未確認の水棲生物がパイプを通って地上に噴き上げられてきた。その生物は原油をエネルギーにして生きていたために自動車のガソリンタンクごと盗んで中身を飲み干す行為を繰り返したが、警戒心が強く廃車処理場に紛れ込んでなかなか人に見つからなかった。

前夫のことを忘れ町の保安官に熱を上げる母親に嫌気が差していた高校生のトリップ・コーリーは、その生物に壊されたピックアップトラックのエンジンを貰って有頂天になっていたとき、廃車処理場でそいつを発見した。

1度目は保安官に通報したものの未確認生物が姿を消してしまい、母親との関係を嫉妬しての嫌がらせだと決めつけられてしまったが、2度目の遭遇でトリップはその生物と仲良くなった。そこへ保安事務所で通報のことを聞きつけた生物処理業者がやってきた。その生物はトリップが新しいエンジンを搭載しようと思っていた中古のピックアップトラックの下に潜り込んで隠れた。

その身確認生物はトラックのタイヤを面白がり、ついにはトリップと同級生の女の子を乗せたまま勝手に走り出してしまう。トリップは生物をクリーチと名付け、トラックと一体化させてアクセルとブレーキが効くようにした。

という話。

まぁ、「ホーム・アローン」とかああいう系の親子で楽しめるコメディー映画。アメリカはよくこういうホームドラマのようなコメディー映画を作って家族愛を確認したがる。家族の崩壊ばかり描いている日本映画よりはマシ。

結局地底からやってきた3匹のモンスターは親子で、夫婦は少ない食料を分け合ったり、かなり知能が高い設定にしてあって、人間同士では描きにくくなった夫婦の愛情をモンスターを使って描いてある。クリーチは夫婦の子供だ。彼らとコミュニケーションを取ったトリップは彼らを元の場所へ帰すべく奮闘する。

興行成績は良くなかったそうだが、オレが高校生の頃にも「コクーン」とか「サンタクロース」とか同じ系統のホームドラマはあったが、大抵興収はよくなかったものだ。「ホーム・アローン」が当たったのはたまたまだね。おそらくこういう映画を企画する人間や出資する人間にとって、利益は二の次なんだろうと思う。政治的な理由と税金対策を兼ねているから作られる類の映画じゃないかな。

トリップの本当の父親をだらしなく無意味な人生を送っているクズ人間に描いてあるのは、オレたちの時代にはなかったことだ。おそらくこの25年くらいで、ダメな奴はダメだってアメリカも見限るようになったのだろう。昔はダメ人間でも白人だというだけで違う表現になっていたのだ。いまはダメ人間だけど子供のことになると本気を出して頑張るみたいな。もう違うんだね。そういう人間は心底ダメで、嫁が新しい人間と再婚するのを許容するくらいまでにはリベラルになっている。

そんなに面白くはないけども、退屈というわけでもないし、性的表現がまったくない映画なので親子で楽しめるはず。

2000円で払って映画館で観るには辛いが、配信で楽しむには悪くないと思うよ。




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「ゼロ・グラビティ」(2013年作品)感想 [映画]

中国の宇宙実験施設・天宮1号が落下してくる問題を夫婦で話し合ってるとき、嫁が「ゼロ・グラビティ」を知らないと分かり、タイムリーな話題として吹替え版で視聴した。

劇中では中国のステーション大活躍なので「ウソじゃん。墜ちてんじゃん」って怒っていたが、映画そのものは好評だった。

映画の中の無重力の表現は「2001年宇宙の旅」ですでに試みられていたが、この映画はそれをさらに極限まで進化させ、まるで本当に宇宙で撮影されたかのようだ。CGも使われているが限定的でとても効果的。とにかくカメラワークが素晴らしい。観ているだけで宇宙酔いしそうな映画だ。

シャアのセリフに「当たらなければどうということはない」というのがあるが「ゼロ・グラビティ」でも同じこと言えんの? って感じ(結局2回目は当たらなかったが)。ああいう極限状態でもなんとか自力で危機を脱出するよう訓練されている人間がいる国といない国では大違いなんだろうなと。危険やストレスはどんな環境でも存在していて、あとは慣れの問題。怖い、から逃げていると人間はどんどん弱くなる。戦争が嫌ならせめて宇宙開発で頑張らないとなぁ。徴兵も半年くらいならどうってことないだろ。冬に入試をして、秋まで軍隊に入ればいいんだよ。

中国人が好きか嫌いかはともかく、アメリカに追いついてやろうという野心を持って行動している限り強い。日本はプラザ合意程度で無気力になったんだからそれはもう衰退しますよ。ちょっと仕掛けられた程度でバカが興奮して20年間政治を混乱させてそれをまだ続けようとしている。本当にマヌケ。ゆとり教育を推進した団塊は早く死んでもらわないと。強くなろうとしないとね。

宇宙空間の描写はSFではお馴染みのものだが、「ゼロ・グラビティ」で面白かったのはステーションのドアを開けたときの勢い。ドアを開けるとバンッと外側に勢いがついて跳ね上がってしまう。あんなの油圧で調整しなきゃいかんのじゃないかって。手が離れたらそのまま死ぬわけだから。ホント人類は無茶しよるなって。あと宇宙服だと水に浮かないってこと。

この映画を始めて観たとき、会社の同僚たちとガンダムみたい、やはり富野は凄いって話で盛り上がった。大気圏突入シーンを必ずねじ込む富野がもしこれだけの映像スタッフに恵まれていたら、「ゼロ・グラビティ」より先にもっとすごい映画を撮っていたかもしれない。

アニメをバカにする奴らはこういうことを知らないんだよな。




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「海難1890」(2015年作品)感想 [映画]

1890年に起きたエルトゥールル号遭難事件を題材にした日本・トルコ合作作品。

天皇陛下に謁見するための使節団を乗せたトルコの老朽艦が帰路台風に巻き込まれて紀伊大島沖で座礁してしまう。石炭エンジンは水蒸気爆発を起こして船体はバラバラ、乗組員は嵐の中の海に放り出されてしまう。

大爆発の音を聞いた紀伊大島樫野村の村民は海岸に打ち上げられたおびただしい死体の山を見て驚き、必死の救援活動を行って69名の命を救った。

ところが遺体を供養するための費用、医療費、棺桶代などすべて村民が負担したに関わらず、ムスタファとかいうクズは村民が遺留品を盗んだと激怒し大暴れ。実際は遺留品に就いたおびただしい血を洗い流していただけだと知ったのちもこのクズは改心せず、日本人に憎しみを抱いたまま帰国。

その後時間が飛んでイランイラク戦争時にトルコが日本人のために飛行機を飛ばしてくれた場面になるのだが、ここでも当のトルコ人はなぜ俺たちを助けず日本人を助けるんだと大激怒。無理矢理1890年の話に繋げて物語は終わる。

もっと感動巨編なのかと期待していたのだが、トルコ人がクズだったというオチに納得がいかない。嫁は「そんなこと考えてるのはあんただけだ」というが、とにかくトルコの連中は自分本位で他人を信用せず真心というものを知らない。なんでこれが美談なのかさっぱりわからん。別に感謝しろとはいわないが、命を助けてもらいながらも差別を忘れないトルコ人に辟易しただけだ。

テヘラン邦人救出の場面だけ再現ドラマにした方がトルコ人のイメージは良かったかもしれない。




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「天国のスープ」(2008年作品)感想 [映画]

嫁とオレで評価が真っ二つに分かれた映画。

嫁「泣ける」

夫「黙って食えや! 文句垂れんなや! 目隠しすんなや!」

食い物を題材にした作品ってどこかいじましい。なんでこんなのが好きかなぁ。

嫁には好評だったようで、「ほっこりする」そうだ。オレは「食い物のことでうるせーよ」状態。店に来た客がスープだけ頼んで、気に入らなければ店の名前にバッテンを打つんだぜ。プロが作ってるんだからちゃんと手間のかかったスープだろうに、よくそんなことするなって。しかも味で評価してないんだよ。「ねーちゃんのスープ」を勝手に探してるんだ。

なんで女って自分が主人公になりたがるのか。姉が死んでたら何をやってもいいのかよ。なんて迷惑な客なんだって。

SNSで勝手にスープの評価を付けて遊んでいるならまだしも、身内の死を絡ませて飲んだことない話に聞いただけの味を求めてプロの味にバッテン付けまくって目の前で「これは違う」とか言ってしまう神経にイライラするわ。

プロなんだから批評はされるだろうが、美味い不味いじゃなくて姉が話していた味を求めてだからね。そんな理由でバッテン打たれたらたまらんだろうに。知らねーよ、それどんな味だよ、言ってみろよみたいな。説明できないじゃん。

なんかね、不幸なら何をしてもかまわないって無神経さしか感じなかった。

嫁「あんただってアニメに文句言うじゃん」

夫「引導を渡してるんだぞ」

という会話もあったが、この映画の女がやってるのは批評じゃないだろ? それに、スープというものに女子的な何かを感じて女子的な何かが表現されていると思い込んでるだけなんだろ? 絶対おかしいよこの映画。

ねーちゃんが「分厚い赤身のステーキ食いてー」って言ってたらこのサブカルクソ女は理想の分厚い赤身のステーキを求めて食い歩きしてたか? やってないだろ? スープが何か女子的だから周りに「スープ女子」的に見られたくてやってただけだろ? スープ(笑)を分厚い赤身のステーキに置き換えてもお涙頂戴映画として成り立つなら認めてやるわ。

絶対そんなことないんだよ。スープ(笑)=女子的な? みたいなええ加減な思考で適当に書き散らしたサブカルクソ映画にすぎんよ。

こんな映画褒めるくらなら、サブカルクソアニメを褒めるわ。




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「Planet of Dinosaurs」(1977年作品)感想 [映画]

1977年のSF映画。「スター・ウォーズ」と同じ年に公開された、「猿の惑星」的な内容のSFで、宇宙船が地球によく似た惑星に不時着したところそこは恐竜の惑星だったという話。同名のBBCのドキュメンタリーは一切関係ないC級SF映画である。

この映画の特徴は恐竜をストップ・モーション・アニメで動かしているところ。別の作品の感想でも書いたと思うが、アメリカはキングコングの時代からモンスターはストップ・モーション・アニメで動かすことになっており、それが成功体験としてずっと残っていた。

日本が怪獣映画「ゴジラ」で着ぐるみを使い世界中で成功を収めてからもその成功体験は抜けず、特殊撮影はストップ・モーション・アニメに頼りっぱなしだった。「フラッシュ・ゴードン」なども一部はストップ・モーション・アニメになっている。利権があったからなのか、それをどうしてもやめることができなかった。日本に映像技術で負けてもどうしてもやめられなかったのだ。

そんなアメリカ独自の常識を打ち破ったのが「スター・ウォーズ」だった。あの作品はとうとうそんな利権を無視して、チュー・バッカもヨーダもストップ・モーション・アニメを使わなかった。あの映画はジョージ・ルーカスの「SF映画で日本に負けているのはおかしい」という強い愛国心から徹底してSF映画にありがちなちゃちさを排除する内容になっていて、大成功を収めた。ルーカスは反日的な人物ではないが、「ちゃんと競争しないと敗戦国に負けることになるぞ」という警告をいつも胸に刻んでいたためか、新技術は自分たちが作り出すという強い信念に貫かれていた。

この映画にそんなものはない。この当時の、低俗SF映画はこうやって作るものだという思い込みそのままの内容である。見どころはそのストップ・モーション・アニメそのもので、ジョージ・ルーカスの「スター・ウォーズ」によって捨てられ、スティーブン・スピルバーグの「ジュラシック・パーク」によって完全に過去の遺物にさせられた技術の集大成的があるという意味で貴重な映画だと言っていい。

アメリカには日本と同じように古い技術に懐古的な楽しみを持つ人間が多く、ストップ・モーション・アニメも古い特撮技術も残っていてときどきそうしたものが作られる。宇宙船を天井から糸で吊るしたSFも90年代まで作られていた。

着ぐるみの成功体験によってCGへの移行が遅れた日本は、この映画を笑うことは出来ない。むしろ教訓として受け止めなければならない。

なおアマゾンの表記が2016年作品になっているのは、ずっとアーカイブで眠っていたこの作品を発掘してリストに載せたのが2016年だったという意味。



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「FASTEST」(2012年作品)感想 [ドキュメンタリー]

オートバイレースの最高峰MotoGPの伝説的チャンピオン、バレンティーノ・ロッシの2009年、2010年のシーズンを記録したドキュメンタリー。「FASTER」の続編になる。

「FASTER」撮影時のロッシは500ccに上がって間もない新人ライダーながら果敢な走りでワールドチャンピオンになる。その愛嬌のあるキャラクターと信じられない勝負度胸でのちに伝説を作る片鱗をすでに見せていた。翌年に2ストローク500ccから4ストローク990ccに仕様が変わり名称もMotoGPになった年にレースを追うのをやめたけども、ロッシの活躍は時々目にしていた。彼はMotoGPへの移行を支えたスーパードライバーだった。「FASTER」はロッシがロッシになる予兆を記録した素晴らしいドキュメンタリーだった。

「FASTEST」はそのロッシが衰え、勝てなくなる前に見せた一瞬の輝きを捕らえたドキュメンタリーといえるだろう。彼はバイクの仕様の変更(2ストから4ストへの変更)、排気量の変更(990ccから800ccにパワーダウン)、ドゥカティの台頭、ベテランレーサーとの確執、チームの変更(ホンダからヤマハへ移籍)などを乗り越え、バイクが良いから勝てるという風評をすべて覆し、伝説のレーサーになっていた。

ところがオフに練習も兼ねて行っていたモトクロスで転倒し、その怪我が元になって不調のシーズンを送る。それでも終盤に見せるカミソリのような走りは健在で、地元の大応援も手伝って彼は輝きを放ったままなんとかヤマハ最後のシーズンを終えた。

「FASTEST」の撮影クルーはこののちにロッシがドゥカティで苦労し、火が消えたようにいなくなると予想していたのだろうか。もし何の見通しもなく「FASTER」と「FASTEST」の2本のドキュメンタリーが撮れたなら奇跡といっていい。まさにロッシの自伝のような作りになっている。

バイクレースに限らず、スポーツを観戦する楽しさは時代と寄り添うことにある。オレの場合は1983年から2001年までの期間毎レース視聴していたからその時代のレーサーのことを知っている。下の世代はまさにロッシこそが英雄だろう。レイニー、ガードナー、シュワンツがずっと心の中で英雄であるように、ロッシを羨望する世代がいる。その次の世代のヒーローはマルケスかもしれない。

とにかくこれは素晴らしいドキュメンタリー。映像作品としても素晴らしい。

不意に思い出したが、MotoGPになる前に視聴をやめていたかもしれない。WOWOWから別の衛星放送に変更されたときに視聴はやめたはずだ。その後はチラチラとどことも知れない場所で観て、ロッシ強えーなーとか思っていただけかも。

フジテレビが絡んでおかしくなったんだっけか? 2000年前後はあまり記憶がない。




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「遊星からの物体X」(1982年作品)感想 [映画]

ジョン・カーペンター監督によるSF映画の傑作「遊星からの物体X」。原題は「The Thing」。

原作はジョン・W・キャンベルが1938年に発表したSF短編「影が行く(Who Goes There?)」。この作品は、リドリー・スコット監督による1979年の「エイリアン」とともに後世に絶大な影響をもたらしたB級映画だ。ただしいまとはA級B級の基準が違っていた。

1980年くらいまで、ハリウッド映画でA級といえば文芸作品に限られていた。SFはアーサー・C・クラークのように哲学的テーマを扱ったものならギリギリ文芸作品で、宇宙人が出てくるものはすべてB級映画だったのだ。「スター・ウォーズ」も「エイリアン」も第1作はB級映画扱いだった。

そうした評価基準を覆していったのがスティーブン・スピルバーグ、ジョージ・ルーカス、リドリー・スコット、ジョン・カーペンターといったコミックやパーパーバックに親しんで育った若手映画監督たちの商業的成功だった。彼らは映像技術によってそれまでバカバカしい子供騙しと思われていた宇宙人などをリアルに表現することに成功した。映像技術が文芸の価値を上回った瞬間だった。

70年代に彼らが台頭してきて、80年代にアメリカンコミックの人気ヒーロー「スーパーマン」「バットマン」が新機軸での映像化に成功すると、A級B級の垣根は映画にかけた予算で決まるようになった。予算をかけて見栄えのいい映像を作ることが出来れば、中身が宇宙人であろうがヒーローであろうが関係なくなっていった。映像技術の進歩が脚本に自由度を与え、元々かなり自由だったアメリカ文学はさらに何でも許容されるようになってそうした文芸の進歩がさらにハリウッド映画の脚本のレベルを上げていった。

映像と脚本の同時進化はやがてテレビドラマにまで及び、アメリカのドラマは世界中に売られていって大きな利益を上げるばかりでなく、アメリカという国の正統性をも支えるようになっていった。この現象は2000年を過ぎるまで続いた。

「スター・ウォーズ」「エイリアン」に続いてやってきたこの映画に、流行に敏感な高校生は飛びついた。この映画で使われたSFXのリアルさに息を飲んだ当時の中高生たちは美大を経てアメリカに留学してしまう者も生み出し、のちの映画に大きな影響を及ぼすことになる。

物語は古い時代のSFの定石であったミステリ仕立ての作品だ。もともとSFというのはミステリの傍流で、未知の存在を使って恐怖を煽る代物か、冒険小説の類似品でしかなった。この作品はペーパーバックの定番であったミステリ風のSFである。

何者かわからない存在が、南極という閉鎖空間で隊員たちをどんどん蝕み、誰がその存在になってしまっているのか誰も分からない状況が疑心暗鬼を生み出してやがてお互いを殺し合っていく、そのじわじわと迫りくる恐怖が持ち味の作品だ。過去に1度映画化されているがそれは本当のB級映画で原作はあまり関係ない。原作に近いのはこちらのリメイク版の方だ。

こうした、アンダーグランドであったものが新世代の映画監督たちによってメジャーになっていく過程を決定付けたのは、リドリー・スコットの「ブレードランナー」であった。「ブレードランナー」の成功が最終的にすべてをひっくり返し、ペーパーバック好きの少年たちはみんな映画界の巨匠になっていった。スピルバーグは「E.T」でその地位を不動のものとし、ジョージ・ルーカスは「スター・ウォーズ」の映像を磨き続けた。

ところがなぜかこの映画の監督ジョン・カーペンターだけは巨匠にはならなかった。映画以外の活動も盛んに行っていたからなのか、彼はずっとB級映画監督のままだった。かつては低俗なものとしてのB級であり、いまは低予算としてのB級である。彼がスピルバーグやルーカスのようにならなかった意味はよくわからない。

彼らが勃興してくる時代に青春時代を過ごせたのは僥倖であった。そして彼らの作品を観て育った世界中の子供たちがいま最前線で映画を撮っている。




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「アイアン・フィスト」(2012年作品)感想 [映画]

安モンのカンフー映画。タランティーノ関係なし。カンフー映画だがアメリカ人俳優が演じている部分は力技ばかりで全然カンフーっぽくない。力を受け流すってことを知らないヤツがアクション監督をやっていそうだ。

バストショットばかりで映像としても稚拙。カンフーなんだから脚と腕を連動させてくれないと。上腕だけで殴りに行って何がカンフーなのか。それにフットワークで戦うのか摺り足で戦うのかも整理できていない。前後の動きなのか円の動きなのかも不明。相手の突きを円の動きで捌くとか、手首を押さえて相手の身体を下に落とすとか、基本がどこにもない。まさに見よう見まね。

いろんな技を使うカンフーの達人が出てくるのに、それぞれの個性を身体表現できていない。顔芸で睨みつけてくる頭の悪そうなアメリカ人ふたりが腕力だけで暴れているのにカンフーを名乗るバカバカしさ。誰か企画したんですかねぇ。

良い点がひとつもないクソ映画でした。早く春アニメ始まらないかなって。



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「天河伝説殺人事件」(1991年作品)感想 [映画]

1991年の角川映画。監督:市川崑。主演:榎木孝明。内田康夫の「浅見光彦シリーズ」劇場版。映画では何故かジャガーに乗っている。ソアラじゃないの???

特徴としては市川崑的な濃淡のついた映像が落ち着いていてかなり良い。伊東四朗、岸惠子、常田富士男、大滝秀治、岸田今日子らが上手い。小林昭二も出演している。新宿の映像をもうちょっと工夫してほしかったが、1991年の角川映画の予算ではこれが限界だったのだろう。音が所々うるさい。

榎木孝明は男前だがかなり大根。脇が上手いだけに科白下手が目立つ。二枚目俳優は若い頃はどうしても下手だね。でも使われていくうちに上手くなるんだけど。

ミステリとしては電車の中でさらっと読む程度のものなのでオチはすぐにわかってしまう。しかし2時間ドラマ的な安っぽい映像じゃないだけ楽しめる。市川崑はその風貌から巨匠扱いされているけども、あまり期待しない方が良い。そこそこ良いといった程度だ。

2時間ドラマ以上洋画未満、大作路線を捨てた角川映画にあってそこそこ映像が良い、のちにテレビでシリーズ化できそうな、使い勝手の良い映画といったところ。

悪くはない。



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「ウォークラフト」(2016年作品)感想 [映画]

同名のゲームを原作とした2016年の映画。監督のダンカン・ジョーンズはデヴィッド・ボウイの息子で英国人。撮影はカナダ。

人間とオークとの戦いを描いた作品。オークというのはトールキンの小説に出てくる巨大な身体を持つ好戦的種族のことで、傭兵などとして描かれることが多いが、本作ではオークはちゃんと国を持ち、独自の文化を保っている。種族同士の戦いではあるが国家と国家の戦いにもなっている。オークが邪悪な種族としてではなく独自の文明を持ち、喜怒哀楽がわかる者として描かれている作品は珍しい。しかもこの作品のオークは生命力をエネルギーとして利用する魔術を持っている。

ドワーフはこの作品でも鍛冶技術に長けた工芸専門職として描かれ、オークに体力的に劣る人間の味方をしている。いわゆる剣と魔法ものであり、正統なファンタジー作品。英雄的人物がオークの側にいるところが面白い。

オークやドワーフはCGで作られている。このレベルになるとCGなのか着ぐるみなのか判別できない。オークと人間の戦いの部分は撮影方法もよくわからない。身長差を出すためにカメラを高くセットしてあり、人間が地面に叩きつけられている感じをよく出している。

ヒロイック・ファンタジーながら人間側はガーディアン(守護者)が闇落ちして、王様も殺される。オークの方も主要キャラはほとんど死んでしまう。あとに残された人物たちを見ていると、物語の前日譚のようにも見えた。ゲームをやっていれば分かるのかもしれない。

とにかく映像のレベルが高い。桁違いってやつですね。

邦画・・・。




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