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「陰陽師 Ⅱ」(2003年公開)感想 [映画/ドキュメンタリー]

野村萬斎主演「陰陽師」の第2弾。夢枕獏も参加した脚本で、大和朝廷が出雲の国を滅ぼし、その神話を奪って統治の正当性を得た話をベースに、安倍晴明が活躍する物語にしてある。

第1弾でもそうであったように、敵役である幻角にベテランの中井貴一を配して物語を引っ張らせている。第1弾の真田広之といい、配役がとてもいい。脇役の演技でグイグイ引っ張っていくので、野村萬斎もとても活かされている。

2000年前後といえば和泉元彌が大河の主役をやったり目立ってた時期で、ところがふたを開けてみればとんだ大根だと発覚し「狂言師だけに」なんて会社でも話題になっていた。そんな和泉元彌が作った悪評を吹き飛ばしたのが本物の狂言師野村萬斎だったような・・・。いや、萬斎の方が先で、急に和泉元彌が出てきた気もする。当時からあまりテレビを観ていなかったので詳しいことは知りません。ちょっと思い出しただけです。和泉元彌はブラックデビルみたいな恰好で特撮に出ていたな。

あいつのことはともかく、本作は日美子役の深田恭子、須佐役の市原隼人もなかなか良くて、第1弾に劣らぬ出来になっている。深田恭子は上手くはないがやはり綺麗だ。市原隼人は最初幼すぎて誰だか分からなかった。

気になるのは大和朝廷が出雲を滅ぼし歴史を奪った部分の時代性が噛み合っていないところだろう。大和朝廷が平安時代で出雲が古代になっている。それに歴史を奪った部分が曖昧で、劇中では示唆もされていない。おそらく大和朝廷が継体天皇以前、飛鳥時代より前なら天皇家の歴史捏造もしくは各地の風土記の統一みたいな説明も可能だろうが、さすがに平安からでは時代が遡りすぎている。

だが、これは別に安倍晴明のドキュメンタリーではない。夢枕獏の小説なのだから、時代考証で目くじら立てることはない。SF考証と時代考証は凝ればいいってものでもない。作劇の自由を奪ってまで重要視してはいけないのだ。

ちょっと話は変わるが、この夏に「陰陽師」のような雰囲気の「霊魔の街」というテレビドラマがあった。このブログでは何度か取り上げているので観た人もいるかもしれないが、その最終話の感想で書いたのだが、やはり「霊魔の街」は夢枕獏や菊地秀行の雰囲気に近い。「陰陽師」が好きな人なら楽しめると思うのでぜひ。全国のツタヤ、ゲオ等に置いてあります。

全体として良かったけども、最後の部分が冗長。安倍晴明がアメノウズメに扮して踊り天岩戸を開けて日美子を蘇らせる場面が長すぎる。

最後でちょっとダレた気がするなぁ。




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「陰陽師」(2001年公開)感想 [映画/ドキュメンタリー]

主演:野村萬斎による安倍晴明を題材にした映画。原作は夢枕獏。

この作品は劇場で鑑賞したのだが、アマゾンプライムの得点に置いてあったので久々に観ることになった。文句なしの面白さだ。

17年前の作品にしてはかなりの高レベル。CGもそんなに違和感がない。なんといっても野村萬斎と伊藤英明、敵役の真田広之の演技がよくて魅入る。上手い役者はちゃんといるのだなと。それに2001年はまだエグザイルとAKBがいなかったのも大きい。真田広之が演じた道尊がエグザイルだったら終わってた。

原作も夢枕獏の人気作が残っていた時期で、漫画やラノベを映像化しなくてよかったころ。製作委員会が異常な権限を持っていなかった時期でもある。のちに製作委員会がジャスラックのように巨大な権限を持つようになり、利益の最大化の名の下、作品の良し悪しなどお構いなしにちょっと人気があればアニメになり実写化されるようになる。作品の内容関係なく自動的に金を出し続けてきた企業の責任でもある。

原作があり、役者がいて、お金も集まれば、ちゃんとした映画はできるということだろう。一番の問題は原作の枯渇じゃないかな。アニメ化しようが映画化しようが原作者に何の利益ももたらさなくなって作家の成り手がおかしな奴ばかりになった。東京からはもういいのは出てこないだろうな。諦めてる。

恨み、嫉み、憎しみといった負の感情が道尊によって祟りへと具現化され、帝への呪いとなって襲い掛かる。安倍晴明によりいったん退けられた道尊は、坂上田村麻呂の剣と像により封印されていた早良親王の悪霊を自らに憑依させ、帝と安倍晴明を追い詰めていく、という内容。悪霊が本当に信じられていた時代の雰囲気がよく出ている。

映画の内容は素晴らしかったが、個人的に2000年前後からたった17年でこんなにも出版界がダメになり、読者に何も届けられていないところに暗澹たる気持ちになる。

作家より製作委員会の方が権限が強いんじゃ成り手が本当にいなくなりそうだ。



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「恐竜・怪鳥の伝説」(1977年公開)感想 [映画/ドキュメンタリー]

70年代にいくつか制作されたパニック映画であって、決して怪獣映画ではない。

脚本に伊上勝の名前を見つけて視聴してみたが、70年代の風俗描写がウザいし、恐竜はまんま怪獣として描かれているし、いいところがひとつもない。伊上勝の良いところが微塵もなく、共同脚本のふたりの筋立てに恐竜登場のタイミングなどでアイデアを出したくらいじゃないだろうか。

まぁこれはまるっきりダメだ。

1975年には「ジョーズ」が公開されて爆発的なヒットになっていたから、世紀末思想やらなにやら理由をつけてサメの代わりに恐竜を出しただけの安易な映画だ。

劇中の世界観がまるっきりいまの団塊の世代の人間観、地球観、環境観そのものでバカじゃないだろうかと。

伊上勝は単独脚本じゃないとダメだし、子供向けの方が持ち味が出るのかも。

とにかくこれはダメだ。




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Twitterまとめ投稿 2017/12/13 [日記]


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「Fate/Zero」(2011年作品)第16話 感想 [アニメ/特撮]

ケイネス・エルメロイ・アーチボルトから令呪を奪ったソラウ・ヌァザレ・ソフィアリが久宇舞弥に令呪の刻まれた腕を切り落とされて拉致されてしまう。

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彼女に令呪を奪われたケイネスは聖堂教会にキャスター討伐の褒章である令呪をねだりに行き、他のマスターにも配布されることを怖れて聖杯戦争監督役の言峰璃正を殺害する。さらにケイネスは婚約者ソラウを奪われたことでランサーを叱責した。

そこにセイバーとアイリスフィールが姿を現した。ランサーとセイバーは騎士道に基づいた決着をつけるには今日しかないと思い定め、激しく剣をぶつけ合うことになった。しかしこの場所には衛宮切嗣もやってきていた。彼は人質に取ったソラウの頭に銃を突きつけ、ケイネスに魔術契約を持ちかけた。

もしその契約を果たせばケイネスはソラウもろとも命は助かるが、聖杯戦争に勝利することは諦めなければいけない。衛宮切嗣と殺し合った経験を持つケイネスは、決して彼の行動が脅しではないと諦めるしかなく、教会から奪ったばかりの令呪を使ってランサーに自殺を命じた。誉あると信じた戦いを否定されたランサーは深い呪詛を唱えながら消えていった。

この契約によって衛宮切嗣はケイネスを殺せなくなった。だが契約の対象は彼だけだった。ケイネスとソラウは、久宇舞弥によって殺された。

正々堂々と戦い合っていた最中にランサーが自殺することとなったセイバーは納得がいかず衛宮切嗣に食って掛かった。そこで得た切嗣の答えは、英雄たちの戦いへの徹底した不信感だった。

みたいな話で、ランサーチームが完全消滅した回だった。

前半は呑気に問答などしながら「聖杯『戦争』というほどか?」と思わせておいて、後半からはバンバン人が死んでいく。殺し屋として優秀なのは衛宮切嗣で戦線をリードしているのは彼になる。えげつない殺し方をしているくせになぜか人と人が殺し合う世界の撲滅を願っており、言ってることとやってることのギャップが大きい。そのギャップが何なのかを示したのが第16話のセイバーとの問答になる。

大きな悲願を成就するためには小さな犠牲がやむを得ないと思って行動している、というより、犠牲なくして悲願が達成できるはずがないとの信念が、むしろ積極的に犠牲者を増やしている。騎士道などというものに何の価値も見い出しておらず、戦場のリアリズムの前にはすべてウソ妄言の類だと切り捨てている。

そもそも彼は聖杯戦争のサーヴァントにアーサー王を望んでいたはずだが、清廉潔白そうな女が出てきた瞬間にコミュニケーションを諦めている。戦って人を殺すだけの存在である兵士が清廉潔白であるはずがないだろうというわけだが、これはもちろん衛宮切嗣の方が歪んでいる。衛宮切嗣の歪みは大袈裟に言えば戦後日本の歪みそのものだ。恒久平和をお題目としながらそのためにまったく戦おうともせず傍観を決め込み平和主義者を気取るウソへの反発が彼といっていい。

そもそもブリテンの王のくせにそんな呑気なことでいいのかという話でもあり、所詮はブリテンを滅ぼした人間たちのウソの物語の中の人物に過ぎないセイバーさんの虚構の構図でもある。

衛宮切嗣が本領を発揮してきたことで物語は俄然面白くなってくる。恒久平和の実現のためにならどんなあくどい手段も平気で使い、妻としたホムンクルス(泥人形)の命も、盟友である久宇舞弥の命も、さらに自分の命さえも顧みない戦いがいよいよ始まった。

そんな衛宮切嗣に対抗して邪魔をしてくる存在が言峰綺礼だというところがとにかく面白い。言峰綺礼はまだ間桐雁夜を助けたことすら自分で理解していないが、信仰の力によって自らを律する過程で変態性を帯びたその心象の珍しさからあっという間に己が本性に惑溺して、本性が清廉潔白でそれ以外の部分が歪み切っている衛宮切嗣という真逆の存在の邪魔をしていく。腐った魂に潔白の肉をまとった言峰綺礼と美しい魂に腐った肉をまとった衛宮切嗣が惹かれ合う構造は、のちに「PSYCHO-PASS サイコパス」に引き継がれていく。

激しく焦がれ望んだ者が空を掴み、ただ争って得た者がそれを手からこぼし、生まれながらの勝利者が最大の利益を得るものの大したことに使い切れない。

こうしたもどかしさもこのアニメの魅力だ。



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「怪竜大決戦」(1966年公開)感想 [映画/ドキュメンタリー]

監督:山内鉄也、脚本:伊上勝、主演:松方弘樹による特撮時代劇。これはプロトタイプ「仮面の忍者 赤影」と言っていい。

1966年は初代「ウルトラマン」の放送が始まった年。第1次怪獣ブームが巻き起こった時代なので、東映も時代に乗り遅れるれるなとばかりに怪獣映画に参入したのだろう。

「怪竜大決戦」は時代劇に忍術と怪獣を組み合わせた作品である。怪獣の出番はさほどないが、最後の大蛇丸(おろちまる)と雷丸(いかづちまる)との戦いはお互いに忍術を使い巨大なオロチとガマガエルに変化して戦う。このシーンがなかなか良く出来ており、火を噴く、水を吐く挙句に琵琶湖畔の城を破壊する、最後には飛騨の山奥で雷丸と出会った美しい女性綱手の櫛が巨大な蜘蛛に変化して雷丸のガマガエルを助けるシーンがある。

荒唐無稽であるが、江戸末期の歌舞伎の演目には巨大なガマガエルが江戸を襲うゴジラのような作品がすでにあり、日本の伝統というかお家芸のようなものだ。

脚本は「遊星王子」や「仮面ライダー対ショッカー」で取り上げた伊上勝。高速紙芝居とでもいうべき場面転換の妙と畳みかけてくる脚本は見事である。やはり伊上勝は余計な説明は一切しない。無駄な回想シーンもない。次から次へと事件を起こし、観客を画面に釘付けにしていく。

冒頭、忍者軍団が城を襲撃し、殿様がそれに気づいてはたと身を起こし、家老結城大乗がやってきて事の次第を報告、下手人は誰だと問うなり結城大乗が殿の腹を薙ぎ払い、それはオレだと名乗るところでもうすでにたまらん展開になっていく。

嫡子尾形雷丸を小舟で逃がし、城を後にする主君一派が怪竜に襲われ全滅するシーンまでものの数分である。冒頭5分だけですでに最近の映画は負けてる。85分の尺の中に最近の映画の130分くらいが詰め込まれている。余計な説明や回想シーンがないのもそうだが、科白にもまったく無駄がないのでダレるシーンというものがない。

古い作品なので特撮など幼稚な部分もあるが、ではCGを駆使すれば同じ場面が良くなるかといえばそうでもない。やはり無駄に見せる場面を切らねばこうは作れないのだ。

伊上勝脚本は日本映画再生のためにもっと研究すべきだと改めて思った。

主演の松方弘樹、裏切り者結城大乗役の天津敏、綱手役の小川知子、どれも素晴らしい。だが、役者はいまの俳優でも十分にできる演技だ。

異なっているのは脚本なのだ。映画に使える風景がないとか、昔のようにセットが組めないとか、そういう言い訳はまず良い脚本を書いてから言わねばならない。




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北陸中日新聞が異常者集団だと分かる記事 [嫌韓]

保存用。北陸中日新聞の記事らしい。こんな新聞を読んでる奴は死刑でいいよな。

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汚物新聞かよ。中日ファンは死ね。


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「利休にたずねよ」(2013年公開)感想 [映画/ドキュメンタリー]

なんだこれ。時間の無駄だった。

なんか、褒めるところが全然ない。酷い映画だな。まさに「なんだこれ」に尽きる。


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「Infini-T Force(インフィニティーフォース)」第11話 感想(説教臭いなオイ) [アニメ/特撮]

何もしなかったら死ぬからだろ、何言ってんだよガッチャマン。

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いやそうじゃないだろ。すべての宇宙かエミかの2択にしないと。2択だったから界堂一道はZになったんだろ。

最初のエミが死ぬ場面で一道が身代わりで死ねばそれで終わる話を延々引っ張って何なんだよこの脚本。

子供心の欠片もない奴がヒーローものなんか作るなよ。

死ね。



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Twitterまとめ投稿 2017/12/12 [日記]


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