So-net無料ブログ作成

「バットマン対スーパーマン ジャスティスの誕生」(2016年公開)感想 [映画]

全編に渡って見どころがなく沈鬱。カタルシスも弱い。

「スーパーマンⅡ」はあんなに傑作だったのに。

どうでもいいけどアクションシーンでマントを引っ張るなと。カゲスターはどうすんねん。



コメント(0) 
共通テーマ:アニメ

劇場版「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」(2015年公開)感想 [映画]

これはクソ映画。

ふふはははははははは。

終わったな邦画。



コメント(0) 
共通テーマ:アニメ

劇場版「テラフォーマーズ」(2016年公開)感想 [映画]

「何してんだテメー」

「ポプテピピック」並みにどうでもよさそうだな伊藤英明。

どうもネットフリックスだといいのに当たらないんだよな。アマプラの方がラインナップはしょぼいのに当たる。

いやいやこれは酷い。



コメント(0) 
共通テーマ:アニメ

「キングコング 髑髏島の巨神」(2017年公開)感想 [映画]

悪くはないんだけど、こういうパターンは飽きたな。

後半、コングがめっちゃ知能が高くなって道具を使いこなしていたのには笑った。

人間ですやん。



コメント(0) 
共通テーマ:アニメ

「おっぱいバレー」(2009年公開)感想 [映画]

つまんないし、おっぱい要素ないし、なんやねんこれ。他に観たいものがたくさんあるのに何で無駄な時間を取らせるかなぁ。

タイトル詐欺はやめてもらえませんかね(憤怒)。

以上。



コメント(0) 
共通テーマ:アニメ

「月光仮面」(1958年公開)感想 [映画]

和製ヒーロー「月光仮面」がなかったら、日本はずっとアメリカンコミックスのヒーローを崇め続けなければならなかったはずだ。

戦争に負けた日本はアメリカ的な価値観のみならずアメリカの製品をことごとく買わされており、映像作品も例外ではなかった。もちろん子供向け番組そうで、テレビ放送開始当初はアメリカのホームドラマばっかりだった。

それを悪いとは言わないし、観ていた人にとっては良い思い出かもしれないが、どこかの時点で日本は脱アメリカをする必要があったのだ。そして「月光仮面」こそ、スーパーマンに代わる日本オリジナルのヒーローだった。子供たちは「月光仮面」に熱狂した。

「月光仮面」の価値は力道山に近いが、戦争に負けて一時的に子供たちに語る言葉を失っていた親世代が再び日本的な道徳や価値観を語るきっかけにもなっており、単なる初代日本オリジナルヒーロー以上の価値がある作品なのだ。

「月光仮面」「少年探偵団」に加えて紙芝居から発展した「黄金バット」などの作品は、「のらくろ」が担えなくなった少年少女の大人への憧れを再びもたらしたと言っていい。

この映画はドクロ仮面のスパイ団が、日本の科学者が発明した新型兵器を奪いにくる話の第1部で、続編は次の順番になっている。

①「月光仮面」

②「月光仮面 絶海の死斗」

③「月光仮面 魔人(サタン)の爪」

④「月光仮面 怪獣コング」

⑤「月光仮面 幽霊党の逆襲」

⑥「月光仮面 悪魔の最後」

順番はこうだがすべて繋がっているのかどうかはまだ確認していない。

オレはね、川内康範に「月光仮面」を与えてもらった団塊の世代がバカ丸出しの反日日本人になっていることが情けなくて悲しいよ。

「おふくろさん」を足蹴にした世代が団塊なんだよね。

暇があったら以降の感想で詳しく書く。




コメント(0) 
共通テーマ:アニメ

「武士の献立」(2013年公開)感想 [映画]

チャンバラ映画にまでメシか、と思ってリストアップしたまま放置していた映画だが、なかなか素晴らしい作品だった。

加賀藩の料理人である舟木伝内に料理の腕を見込まれ息子の嫁にと懇願された春が、江戸からはるばる加賀へ嫁入りし、包丁侍と揶揄されることに我慢がならず、自分の仕事に誇りを持てない後継ぎ息子を一人前にしていく物語。

チャンバラシーンはなく、お侍さんが料理をしている絵柄は新鮮だ。派手な立ち回りなどはないが、脚本が良く出来ていて、地味な話を盛り上げている。脚本の柏田道夫は「武士の家計簿」も手掛けており、加賀藩を舞台にした話は2度目。どちらもとても良い出来だった。

世の中バカが増えてエンゲル係数が上がり、漫画やアニメはメシか性欲かといった有様だが、この物語はそうしたものとは違い、食い物に対して美味いの不味いのと批評する内容ではない。ちゃんと武芸を磨いてきたのに剣の腕を役立てる機会に恵まれず、包丁侍と蔑まれることが嫌で藩政改革のゴタゴタに首を突っ込みかけた男が、妻の甲斐甲斐しい努力に気を取り直して、加賀藩を代表して各藩を饗応する重大な役目をこなす話だ。

時代劇というのは、命のやり取りをする侍というものに焦点を当て、生死の狭間を描くことで人間性を浮き彫りにしようというものだが、「武士の家計簿」も「武士の献立」も、職業に誇りをもって邁進する社会人としての武士を描いており、サラリーマンの矜持と同じ性根を扱っている。仕事が単なる金儲けの手段となり、権利ばかり主張する昨今、こうした仕事に打ち込む素晴らしさに焦点を当てた作品が時代劇で作られるようになったのは良いことではないだろうか。こういう作品に文句をつけるバカは使えない奴だから相手にしなくていい。

時代劇は1970年前後には金が掛かるからとヤクザ映画に取って代わられ、同じ理由でテレビからも姿を消したが、2000年に入ってから再び映画の世界で輝いてきているな。時代劇チャンネルが初年度から黒字を出したとの記事には驚いたものだが、やはり所作の美しい武士を主人公にした作品の方が日本人には合っているのだろう。男性も女性も時代劇の方が魅力的に見えるというものだ。

加賀ネタがまだあるならば、ぜひシリーズ化してほしいくらいの素晴らしい映画であった。



コメント(0) 
共通テーマ:アニメ

「わが青春のアルカディア」(1982年公開)感想 [映画]

「さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅」の翌年に公開されたキャプテン・ハーロックの映画で、声優として石原裕次郎が出演している。

030_.jpg


内容はハーロックとトチロー、エメラルダスらの若き日の物語で、出会いの物語でもある。石原裕次郎はファントム・F・ハーロックⅠ世というハーロックの先祖を演じている。あまり上手くはない。

漫画版の「キャプテン・ハーロック」が大好きだったので喜び勇み、満を持してあえて独りで劇場へ脚を運んだものの、あまりの退屈さに死にかけた作品でもある。とにかく面白くない。ハッキリって酷い。だが当時まだ中学生だったこともあってどこがどう退屈で面白くないのかわからず、ガッカリきて肩を落として帰宅したものだ。

あれから35年の年月が流れ、改めて作品を分析してみると、まず根本的に「さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅」と同じ弱点があるのがわかる。松本零士の原案がぼんやりしすぎており、ストーリーとしてまとまっていないのだ。

松本零士は決してストーリーテラーではない。物語の組み立ては上手くないのだ。構成に難があり、そのくせ具体的なシーンのイメージだけ提示するのでそれを繋げて全体としておかしいということがよくある。

漫画連載の場合「先生、ここちょっとおかしいですからこういう場面を追加して話の流れを整えましょう」みたいな提案ができるが、大ヒットメーカーとして持ち上げられていた当時の松本零士に映画関係者は口出しできず、物語構成上おかしいのにそのまま脚本に起こして作るしかなかったようだ。

松本零士は手柄を独り占めしたがる漫画家で、しかもすぐにむくれるので扱いが難しい。イメージは素晴らしいのだから、良き編集と良い関係を作っていれば漫画家としてももっと活躍出来ただろう。実際はすぐに機嫌を損ねる彼の周りには意見してくれるスタッフは残らなかった。だからどの作品も中途半端で、大感動のクライマックスなど描けたためしがない。

松本零士由来のストーリー構成の弱さに加え、この映画は演出も弱い。「さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅」の場合、原案に同じような弱点があっても提示されたシーンの取捨選択が上手く、脚本に筋が通っており、機械化人とそれに反発する鉄郎らの戦いに素直に感情移入できた。りんたろうの演出も冴えており、映像も素晴らしかった。

あれに比べると、核になる表現者が松本零士しかないない本作は、駄作になるしかなかったのだ。これが松本零士の実力だ。

1980年前後は、「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」(1978年公開)と「劇場版 銀河鉄道999」(1979年公開)の大ヒットを受け、松本零士作品の映画化が盛んに企画され公開した時期だった。テレビアニメを焼き直しただけの映画に若者が殺到し、チケットが飛ぶように売れるのだから松本零士作品がブームになったのだとみんな思い込んでいた。

ところが、豊田有恒や山本暎一が物語を書いた「宇宙戦艦ヤマト」にしろ、りんたろうのストーリーテリングに依存したTV版「宇宙海賊 キャプテン・ハーロック」「劇場版 銀河鉄道999」にしろ、成功したものは言ってみれば松本零士のイメージを別の人が具現化したものばかりだった。

自分の実力を1歩引いて分析できる人ならば「あの作品が成功したのは誰それのお蔭です」と言葉に出来て、自身の原作をどうやったら良い映像に出来るかコントロールも出来ただろう。ところが何でも独り占めしたがる松本零士にはそれが出来ず、裸の王様として担ぎ上げられた挙句に出来たのが「わが青春のアルカディア」だった。

世間では「一時的に松本零士ブームが起こったが、すぐに下火になった」と解釈されているようだがそれは違う。良いライターと組めば松本零士はまだまだ売れたし、漫画ももう少しまともになった。だが彼はそれをしなかったのだ。有能な人物に嫉妬し、遠ざけ、単に自滅したのである。

この映画の失敗により、クイーンエメラルダスの物語が映画になることはなかった。残念なことである。999、ハーロック、エメラルダスはもともとひとつの物語なのだから、「宇宙戦艦ヤマト」のように漫画もアニメも劇場版も一人のメインライターを据えて取り組むべきだった。松本零士は受け入れなかっただろうが。

製作や企画に関わる人たちと、作家の力関係はいまも非常に微妙な問題だが、1980年当時は作家の力が強すぎ、2017年現在は版権管理会社の力が強すぎる。双方が銭ゲバで悪人の方が関係が上手くいってるという嫌な世界である。

不完全だったが故にいまだ続編やリメイクなどが続いているが、オレはこれらの方向性は支持しない。もういくらいじくり倒しても松本零士作品はどうにもならない。ましてや原作リスペクトで松本零士の汚い絵をそのままアニメにするなど一部のマニアにしかウケないとなぜわからないのだろうか。

とにかくこの映画は死ぬほど退屈なのである。





コメント(0) 
共通テーマ:アニメ

「銀河鉄道999 エターナル・ファンタジー」(1998年公開)感想 [映画]

りんたろう、山浦弘靖、小松原一男、金田伊功、椋尾篁たちがいなくなった結果wwwww

753.jpg


クソアニメになったンゴ。

原作リスペクトとかいうゴミ。



コメント(0) 
共通テーマ:アニメ

「さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅」(1981年公開)感想 [映画]

機械化母星を破壊し、地球に戻ってきた鉄郎を待っていたものは、さらに激しくなった機械人間との闘いの日々であった。

123.jpg


人間との共存を捨て、徹底した支配を目論む機械人間の前に生身の人間たちの命運は尽きつつあった。星野鉄郎もまた銃を取って戦い、終わるアテもなく勝利の可能性も見えない戦いの日々に疲れ切っていた。

そんなおり、1通の電子メッセージが鉄郎に届けられた。声の主はメーテルだった。メーテルは鉄郎に再び999に乗るように促していた。だが、銀河鉄道はかなり昔に運航を停止していた。それでも鉄郎はわずかな望みに賭け、仲間の助けを得ながらメガロポリス99番ホームへと向かった。

廃墟と化していたかつての駅舎に何とか潜り込んだ鉄郎は、瓦礫で埋まった99番ホームを奥へと進んだ。すると汽笛の音が聞こえてきた。999はホームが途切れた場所にひっそりと停車していたのだ。

機械人間の追手を振り切り、何とか乗車した鉄郎は、行先のわからない列車の旅をすることになった。

惑星ヘビーメルダーの衛星ラーメタルで列車が停車したとき、鉄郎はそこがメーテルの生まれ故郷だと聞かされ、促されるままに駅舎に降り立った。その惑星で彼は機械化人に対してレジスタンス活動をする人たちと出会う。メーテルこそがいまのプロメシュームだと知らされ衝撃を受ける。

列車がラーメタルを飛び立とうとしたとき、ホームにメーテルが現れた。メーテルは鉄郎との再会を喜んだが、メーテルこそがプロメシュームだと聞かされていた鉄郎は複雑な想いだった。そこに銀河鉄道を支配するという黒騎士ファウストの円盤がやってきて999にコントロールセンターへ向かうよう要求した。999はいったんは拒んだものの、攻撃されまたメーテルの指示もあってそのままコントロールセンターへと入港した。

黒騎士ファウストと出会った鉄郎は、彼に銃を向けた。すると彼は時間の彼方へと送られ、幼き頃の自分と向き合うことになった。母親を救うことができなかった鉄郎は、ファウストに銃を発射した。そこに割って入ったのがメーテルだった。暗転した空間で、鉄郎はファウストから999の行先を知っているのはメーテルだと聞かされた。

コントロールセンターを発進した999にメーテルは乗っていなかった。背後で爆発するコントロールセンター。メーテルはエメラルダスに助けられて999に乗ることになった。

ついに最終駅惑星大アンドロメダへとやってきた鉄郎とメーテル。鉄郎はファウストに導かれるまま都市の中心へと誘われる。そこは機械化人たちが永遠に幸せに暮らすユートピアだった。鉄郎は正式にプロメシュームのあとを継いで機械化惑星大アンドロメダの女王に就任したメーテルの姿を見る。女王になったメーテルは鉄郎に命の火を抜き取る工場を見せた。そこでは幽霊列車に攫わせた人間たちから命の火を抜き取り、機械化人が生きるためのエネルギーカプセルに変換していたのだ。死体の山の中に友人を見つけた鉄郎は涙に暮れた。

工場を爆破し囚われた人間たちを救出した鉄郎は、再び999に乗車する。援軍としてやってきたハーロックによる攻撃で大アンドロメダは大きな打撃を受ける。さらに機械化エネルギーの集約に引き寄せられたセイレーンの魔女による機械化エネルギーの吸収によって大アンドロメダは崩壊に向かって進み始めた。それでも復讐を諦めないプロメシュームは、ファウストに対して鉄郎の殺害を命じた。

ファウストを退けた鉄郎は、彼が自分の父親であることを知ることになった。


というお話で、おそらくりんたろう監督の最高傑作になる。

最高傑作と言いながら実はこの映画は一部の人間にすこぶる評判が悪い。999っぽくないという理由であったり、脚本の不備などを指摘する向きが多い。だがよくよく検証してみるとこの作品の脚本はさほど悪くない。それどころか非常に良く出来ている。では何が不満なのかといえば、辻褄が合ってなかったり伏線が回収されていなかったり、唐突に新しい設定が付け加わったりする点だ。

これを前作が売れたからと急に作ったことに原因を求め、制作関係者に当たる向きが多いがそれは間違っている。彼らが指摘するこの作品の不備はひとえに松本零士の責任なのだ。

松本零士はイメージ先行型の漫画家で、構成力はすこぶる弱く、ストーリーテラーとしての才能は皆無に等しい。話の組み立てができないのだ。

それでも雑誌連載の場合は担当編集がついて、すぐにむくれて描かなくなる松本零士のお守りをしながら連載をコントロールするからまだいいのだ。ところがこの作品は漫画原作のないオリジナルで、松本零士に原案をやらせてしまっている。担当編集がいれば、なだめすかして物語でおかしいところを直させるのだが、アニメの関係者は編集ほど松本零士の近くにいない人たちだから、大先生からいただいたであろうぼんやりしたストーリーじみたものをおおよそそのままやらなければいけない。「ここ、おかしいだろ?」と思ってもアニメ関係者には「ボツ」にする権限はないのだ。しかも前作の大ヒットを受けて急遽決まったアニメ化だから時間もない。

松本零士の原案ではまずまともな話にならない。ここまでしっかりまとめたのは脚本家の山浦弘靖氏の功績だ。そして過不足ない筋立てを見事に映像化してある傑作なのだ。前作「銀河鉄道999」の方が客入りが良く、評判もいいが、あれはTVシリーズあっての成功にすぎない。みんなテレビでおおよそのストーリーを知っているから、詰め込んであっても脳内補正で楽しめたのだ。また漫画連載の関係もあって親子で楽しめる内容でもある。

「さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅」はレジスタンス側が機械化人相手に戦争行為をする場面などが母親などから評判が悪かった。本当はそこがいいのに、テレビ版のイメージが強すぎて999っぽくないとされてしまった。

これらはすべて前作との比較や、松本零士の神格化からくる勘違いに過ぎず、ちゃんと映画としてみればダイジェスト版に過ぎない劇場版「銀河鉄道999」とは比べるべくもない傑作だ。むしろ「鉄郎の母親をモデルにしたからメーテルは鉄郎の母親に似ていた」という設定や、「次に会うときは全然違う顔になっているはず」という設定をすぐに忘れてしまって新しい自分が作ったイメージにホルホルして言うことを聞かない松本零士によくこれだけ我慢強く付き合ったなと感心するくらいだ。

黒騎士ファウストがハーロックの親友だったとか、鉄郎の父親だったとかそういうイメージも冷静になって構成の中でどんな意味があるか考えられないのが松本零士なのだ。彼のイメージ力は素晴らしいが、0から1を生み出すことは出来ても1を10にはできない人なのである。

これはいまでもそうだが、原作が好きな人というのは、漫画家を神格化しすぎるきらいがある。確かに彼らは0から1を生み出す才能を持っているから評価するのはいい。だが、彼らが作り出したものが答えのすべてではないし、連載は担当がコントロールしていることが多いという点が抜けている。原作者を神格化するあまり目の前の映像作品の評価を見誤るケースが多々あると思う。

りんたろう監督の「さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅」はまさにそうした作品である。

りんたろう、山浦弘靖、小松原一男、金田伊功、椋尾篁らの才能が炸裂した傑作、それが「さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅」なのである。




コメント(0) 
共通テーマ:アニメ