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「銀河英雄伝説外伝・千億の星、千億の光」第1話(ヴァンフリート星域の会戦)感想 [アニメ/特撮]

銀河帝国艦隊はイゼルローン回廊を抜け、同盟領内ヴァンフリート星域に集結しつつあった。

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最初に説明しておくが、「銀河英雄伝説外伝・千億の星、千億の光」でのラインハルトの階級は准将、第三次ティアマト会戦のときは中将なのでその前の話になる。宇宙艦隊司令長官は同じグレゴール・フォン・ミュッケンベルガーである。


ヴァンフリート星域に有人惑星はなかった。恒星が不安定なため通信も使えない星域である。准将として艦隊を率いるラインハルトは76歳の老骨リヒャルト・フォン・グリンメルスハウゼン中将の艦隊に配属されていた。

グリンメルスハウゼン中将は耄碌していたが皇帝の旧友でありミュッケンベルガーはその扱いに困っていた。そこで後方に位置させ戦力とは考えていなかったが、グリンメルスハウゼンはやおら立ち上がって帝国の役に立てないのならこの場で死ぬと脅した。仕方なく彼を前線に配置しなおしたが、これは武勲を狙うラインハルトには都合が良かった。

ところが彼の具申はグリンメルスハウゼンに届いているのかいないのか、とにかく眠りこけているばかりでどうにもならない。ラインハルトの毒舌は酷くなるばかりであったが、一方のグリンメルスハウゼンは居眠りしながらもラインハルトへの中傷は愚かなことだと断じてすぐさま眠ってしまうのだった。

銀河帝国艦隊、自由惑星同盟艦隊のいずれも繞回進撃を作戦として交戦状態になったが、ヴァンフリート星域は通信状態が悪く、また艦隊運営も稚拙であったためにまったく作戦として機能していなかった。ラインハルトの艦隊が作戦通りに動いても他がついてこれない状態であった。

それは自由惑星同盟も同様で、連絡が取れないために作戦行動は実行不可能になりつつあった。同盟司令部は第5艦隊ビュコックにシャトルを飛ばして増援を乞うたが、ビュコックは迷子になったとウソをついてやり過ごした。


という話。

外伝は読んだことないので確かではないが、グリンメルスハウゼンは人間観察能力にだけは長けている印象。説明では若き日の皇帝の世話係みたいなものらしいが、フリードリヒ4世は遊び人だったのでグリンメルスハウゼンもいわゆる陽キャというやつで、人間観察は確かなのかもしれない。

「銀河英雄伝説外伝・千億の星、千億の光」は全12話とのこと。

長いなぁ。オレどれだけ銀英伝観たんだろ?


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「エレクトリック・ドリームズ」(2018年作品)第7話 感想 [ドラマ]

父とのキャンプでチャーリーは隕石群が落ちてくるのを見た。

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キャンプから戻ったある日のこと、父がガレージで何者かに襲われているのを見た。気づいたときその何者かはチャーリーの父親と入れ替わっていた。

入れ替わりは次々に起こった。近所の父親はみんな入れ替わってしまった。チャーリーはガレージで父親の皮を見つける。しかしそれはゴミの日に捨てられてしまって証拠にはならなかった。

父親に入れ替わりに気づいたと悟られたチャーリーは友人兄弟に頼って宇宙人が繭の中で育てていた入れ替わりの素材になる人間たちを燃やし尽くした。


フィリップ・K・ディックの短編「父親もどき」の映像化。

このドラマでは宇宙人による侵略とハッキリ描かれていたが、原作はもっと曖昧で子供の視点がどこまで信じられるのかぼやかしたままになってる魅力がある。児童文学に類する類の小説で、子供のころに獲得する三人称的な視点に対する不安、もしかしたらみんな偽物ではないか、自分はみんなに騙されているのではないか、あらかじめすべてが仕組まれているのではないかという不安を元にした作品だ。

自分が世界の全てで他者がその登場人物である幼少時には世界は恐怖の対象ではない。少年になって自分こそが世界の一部で登場人物なのだと認識が拡がったとき、世界はいいようのない理解しがたいものになる。認識の拡大が招くいっときの妄想がこの物語のアイデアになっている。

ドラマの方は子供の不安定な視座を再現できておらず、大人から見た少年視点で描かれている。その視点は安定しており、普遍的な少年期の不安は払拭されている。

ドラマとしての完成度は高いが、少年期の不安というテーマには迫れていない。



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「エレクトリック・ドリームズ」(2018年作品)第6話 感想 [ドラマ]

地方で暮らしている人々にとって都会は高度なセキュリティーに守られた安全な場所だった。

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だがそれはデックスという追跡装置によって担保された安全だった。デックスがないとどんな場所でも不便極まりない。学校でも同じだった。デックスを持っていないとテロリスト呼ばわりされた。

田舎から出てきたフォスターは1年限りの滞在許可を得て都会へ出てきた。彼女の母親はデックスが嫌いで所有を許可しなかった。あまりに不便だったのでフォスターは母親の口座から購入資金を盗んで自分のデックスを購入した。協力を申し出てきたカーベはフォスターの身体を求めてきたが彼女は慣れてなかったので断った。

デックスの使い方に慣れない彼女はカスタマーサポートに連絡した。カスタマーのヒューマンサポートの男性は優しくて冗談がわかる人物だった。フォスターは彼のことが気に入った。

学校へ行ってみると肉体関係を断ったことが問題になっていた。デックス購入を手伝ってもらったときに母親の口座からお金を盗むのも知られているので肉体関係を持たなければ身の破滅だと忠告された。それに従おうとするとカーベには拒否された。

皆に嫌われていると感じたフォスターはヒューマンサポートと話をして心を落ち着かせた。ヒューマンサポート・イーサンはカーベを調べてみると約束した。夜になってイーサンから連絡があった。カーベは非行歴などはなかったが数日前から1日15分デックスを外す時間があり、同じことが同時に他の地域でも起こっていた。イーサンは協力を求めてきた。

カーベの後をつけてみると、初日に彼女を助けたデックスを着けていない東洋人の少女が扉の奥から出てきた。イーサンは彼女の後をつけてくれと頼んだが、フォスターは自分のデックスが他のものと違ってイヤージェルで会話をするタイプであることに不審を持ち始めていた。彼女の父親も同じように自分で自分の話しかけるようなことをしていたのを思い出したからだった。

東洋系の女は特に不審なところがあるように思えなかったがイーサンは警戒していた。フォスターは飲み物を吐けと言われその通りにした。イーサンは女の父親はテロリストだと告げ、彼女の母親もそのテロリストと繋がるために都会へ来たといった。そこへフォスターの母親がやってきた。

母親は学校から様子がおかしいと連絡を受けてやってきた。しかしイーサンは誰も信じるなと告げている。フォスターはどちらを信じていいかわからなくなったが、最後は母親に従ってデックスを捨てた。ただしイヤージェルはそのままにしておいた。

翌日、学校でテロリストの襲撃が起こった。デックスを捨ててしまっていた彼女はみんなと一緒に逃げることが出来なかったがイーサンの声が届いて部屋の外へ出てしまった。イーサンは言葉巧みにフォスターにテロの実行犯になるよう流した。主犯を捕まえるために必要だというのがその理由だった。彼女はイヤージェル相手ではなく本物の人間と話したいと欲したがその相手はいなかった。彼女はイーサンに従うことにした。母親はその夜に謝罪してきたが、もう遅かった。

彼女はイーサンの指示通りテロリストを装い、監視社会と戦っていた自分の母親をテロリストに仕立て上げて逮捕させた。彼女は本当の母親よりカスタマーサポートの声を信じた。

イーサンは、デックスを開発する会社の一社員であった。


フィリップ・K・ディックの短編「フォスター、お前はもう死んでるぞ」の映像化。実際に自分の周囲にいて自分を愛してくれている人間より電話の向こうにいる人間を信じてしまう愚かしさを皮肉った作品。それをネットに置き換えてある。作品発表当時デックスは頭の中に直接響いてくる電話のようなものだったが、それを上手にネットに置き換えてあった。

作品テーマは監視社会の批判であるが、アイデアの元になっているのは旦那のアドバイスを無視してカスタマーサポートと話し込んでる嫁の姿から着想を得ている。ディックは存命中にあまり売れなくて多作を余儀なくされたので短編はちょっとした出来事を元にしていることが多い。これもそのひとつ。

第4話以降パワーダウンするなんて話は真っ赤なウソで、6話までは素晴らしい出来のドラマだ。脚本の上手さもそうだが、毎回役者が達者でビビる。上手い人ばっかり使ってる。演技派女優がこんなにいることに驚く。



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「銀河英雄伝説 Die Neue These」第7話 感想(イゼルローン攻略・後編) [アニメ/特撮]

流体金属の外壁表現が良かったね。でもその前にあの中から砲台がニョキって出てくるシーンがあればもっと視覚的にわかりやすかった。

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絵はやはり旧作とは比較にならないくらい良くなってる。イゼルローン要塞内の描写とか詳しく描いてあった。あそこまで細かく描くならいっそ実写で・・・と思わなくはないけど、まぁそれは無理な注文だってわかってます。リアルになったなぁ、イゼルローン要塞。

原作と旧作ではセキュリティーのところがガバガバで、司令官ふたりの無能さだけで要塞を占拠しちゃうのだが、そこの部分をちょっとだけ改変して現代的にしてあった。ワルター・フォン・シェーンコップが乗り込んでいくところはどちらにしてもムリがあるので、もし完全にリアルに見せたければイゼルローン攻略のところだけで劇場版にするくらいの尺がいるからあの程度の改変でいいんじゃないかな。

そういうところはともかく、全体に政治的な部分が臭い。先週も書いたけどこれが新作最大の欠陥で、歴史や政治についてよほど知識のない人物がまとめているのか、まるでダメなんだね。トーマ・フォン・シュトックハウゼンとハンス・ディートリッヒ・フォン・ゼークトの不仲の原因を性格が真逆であるためともうちょっと強調しないとなぁ。

ゼークトは対面を重んじるロマンチストでそれがアダとなってオーベルシュタインの警告を無視し艦隊をみすみす失うわけだが、対面を重んじることとロマンチシズムは専制君主制の根幹だからミッターマイヤーもロイエンタールもビッテンフェルトもみんな一緒。さらに言えばラインハルトも一緒。ゼークトは典型的な帝国軍人ではあるが思慮が足らないだけ。

さらに言えばイゼルローン要塞勤務のシュトックハウゼンがその部分が乏しい保身の塊みたいな人物だったからゼークトはロマンチストな部分が強調されてしまったという側面がある。旧作が上手かったのはこの部分を早口のナレーションで最初に説明したところ。シュトックハウゼンの保身も危ないことには手を出さない消極的人物だと最初に描かれていたから命の危険にさらされてあっさり折れてしまうのが納得できたし、ゼークトの特攻も理解しやすかった。

それを単に硬直的人物にしてしまっていたからなぁ。新作の脚本家、バカのくせにしたり顔で人間批判っすか? 硬直化した頭で柔軟に参謀の意見を受け入れられない無能な人物ではあるが、同時に長年にわたって同盟の侵攻を食い止めてきた英雄的な人物でもあるゼークトの両面を描いて、愚かさの悲しみを描いてくれないと。この脚本家、どうにもダメ。

シェーンコップの回想に尺を取ってオーベルシュタインが敵前逃亡したことになっていたのもあまりに酷い改変だった。オーベルシュタインはゼークトに何度も具申して疎まれ、そのままにしておくとさらに何か言ってきそうだったから「出ていけ」と言われて出ていっただけ。だから本来は咎められるべきじゃないけども、状況的に上官を見捨てて逃げたようになってしまったからラインハルトに泣きついて助けてもらった。それが本当に見捨てて逃げたことにしてあって愕然としましたよ。

脚本のことではヤン・ウェンリーのところも途中で何度も回想という形で作戦の内容を出してくるでしょ。時間が巻き戻っているんだけど、誰の視点の回想なのかわからない。シェーンコップの回想という個人の視点と作戦の中身を過去に遡ってヤンに語らせるという神の視座が交互に出てくる。視点の統一性もないし時間の統一性もない。ヘタクソすぎてイライラする。

イゼルローン攻略はなぜそれが成功したのか印象付けなければいけないから、シュトックハウゼンとゼークトに尺を取るべきで、シェーンコップの回想はローゼンリッター連隊の活躍なんて後でいくらでもあるんだからそこでいれればいい。

組み立てがヘタクソってこともあるし、そもそも論だがナレーションの多用をやめてしまっているから情報量が圧倒的に不足している。こんな脚本家で銀英伝のアニメ化を最後まで乗り切れるのかと心配になる。知識が浅いんだよ。

せっかく映像が格段の進歩を遂げていい感じのリメイクになってるのに、肝心のところが全然ダメってのは何とかならないものかと。

もっと素直に映像に感動したいってもんですよ。



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Twitterまとめ投稿 2018/05/16 [日記]


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