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「RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2017」視聴 [プロレス・格闘技]

録画してあった年末のRIZINの試合を観てるんだけど、RENAが浅倉カンナに負けてるじゃん。完全に1日遅れでスマンけどもさ。

体幹の強いRENAをタックルで潰すチャンスなんてそうそうないだろうと思っていたのに、たった1回のチャンスを完全に決めた。アマレス経験のある選手に絡みつかれるとRENAでも厳しかったか。

RENAはいつものように左右をスイッチしながら様子を見ていたんだけど、カンナがサウスポーで構えていて、左ミドルを掴む気満々だったからなかなか打っていけなくて、ボディーも出さないうちにタックル→切るを何度か繰り返してとうとう倒され、脚を絡みつけられてしまった。オーソドックス・スタイルで右の蹴りを出すより、左の蹴りで右レバーを攻めたかったはず。

セコンドから「削れ」と指示が出てからRENAがサウスポーにスイッチしたんだけど、そこをタックルに入られている。「まだ早い」という指示の意味が分からない。最初はオーソドックスで攻めて、機が熟したらサウスポーに切り替えろという指示だったのだろうか? 右で思うように攻められないRENAはすぐにでもサウスポーにしたがってるように見えた。だがその瞬間に入られたのだ。

RENAの左脚はカンナの右手で抱えられて、タックルは切ったのに頭をつけられ、カンアの手は外れない。脚を抱えられていたからすくい投げみたいにして倒され、サイドポジションからバックに回られた。サイドポジションを取られたRENAの膝と肘の使い方はあまり良くない。

打撃で削れる、タックルは切れば問題ない、グラップリングになってもカンナはさほど決め手がないと高を括っていたか。サイドポジションからほぼ無抵抗でバックマウントを取られるとは意外にもRENAには技術的に大穴があったんだなと。あんな簡単にクルクル相手に回られるということは、いままで体幹の強さだけで逃げてきたってことだな。カンナは右手で脚をすくい、すぐに首に腕を巻き付けている。相手の頭を引き寄せながら左脚をグルっと回す。練習してますなぁ。

RENAは、寝技を怖がっていたときはもっと必死に逃げて、逃げた後はボコボコに殴りにいっていたものだが、ここ2年くらいそんなに怖い相手とやってなくて、逆に十字を取ったりしていたから変に自信がついちゃったのかも。

カンナだったからサイドからバックに回る手順があったが、サイドから肩、腕と決めに来る選手だったらもっと簡単にやられていたかも。

タックル狙いのサウスポーをどうやって削っていくかの対策がなかったのだろうな。

左脚を上げれば飛び込んでくる、右で構えればタックルは切れるが打撃で攻めきれない。

意外にもどうしようもなかったのかもしれない。

いやいや面白い試合だった。いまから残り半分を観るわ。





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「福者になった武将 高山右近~400年の時を超えて~」視聴 [ドキュメンタリー]

録画してあった高山右近の番組を観る。

キリシタン大名高山右近がカトリックの福者に選ばれたことを契機に制作された番組で、現在バチカンで行われているマレガ文書の修復作業の様子なども収録されている。

マレガ文書は、戦前に日本へやってきて神学校などで教鞭をとってきたサレジオ会宣教師のマリオ・マレガ神父が、カソリックに関する日本の古文書を収集してバチカンへ送っていたもので、2011年にバチカン図書館で発見された。

和紙に記された文書の多くは現在も修復中で、どのような内容のものがあるか全容はまだ掴めていない。バチカン図書館の人たちは当然日本語の草書で描かれた古文書の内容がわからないので、最初は重要なものだと気づかなかったようだが、現在は日本との共同研究体制が整えられ、資料の修復とデータ化をバチカンで行い、データはすべて日本の国文学研究資料館に送られて内容を調べている。

番組では、キリシタン禁止令以後の幕府の取り締まりの様子などを記した文書が紹介されていた。幕府はかなり厳しくキリシタンを処罰したが、一方である地域などでは村のほとんどがキリシタンだとのことで、調べは隠密に行うように指示するなど、厳しいばかりではなく、眼を瞑ってやるからあまり大っぴらにはしてくれるなといったお目こぼしもあったようだ。

すべて日本の古文書であるところが重要なところだ。バチカンにあったために戦災で焼けてしまわずに残ったのだ。マレガ神父は「古事記」をイタリア語に翻訳して出版した人物でもある。戦中も日本にとどまり、大分で空襲に遭い、焼け出された挙句にイタリア降伏に伴い捕まったりしている。戦後はまたバチカンの指示を受けて日本へやってきて、布教活動を行った。

番組はキリシタン大名だった父の影響で12歳で洗礼を受け、戦国大名として頭角を現しながら一方でキリシタンらしく領民に優しく接した高山右近の姿が紹介されている。彼は当時賤民の仕事だった死体の入った棺桶を担ぐなど日本文化になかった行動を取って領民を驚かせたりしている。

高槻城主だった彼は荒木村重の反乱に巻き込まれ、織田信長から「自分に降りなければ畿内のキリシタンと宣教師を皆殺しにする」と迫られ、懊悩した挙句に友人であった荒木村重を見捨てた。豊臣秀吉からは「キリシタンを辞めなければ(バテレン追放令)領地を没収する」と命じられ、迷わず領地を捨て流浪の身となった。この際に加賀の前田家に客分として召し抱えられ、旧知の仲である前田利家だけでなく、2代、3代の領主の相談役などもこなした。築城の名手のひとりであった彼は金沢城の櫓にキリシタン寺の様式を用いるなど多くの足跡を残している。また意外にも小田原討伐にも参加しており、本当に豊臣秀吉の勘気を買っていたのかどうか怪しい。前田家の客分でいられたのは、秀吉の暗黙の許可とか、もしくは秀吉からの依願があったからかもしれない。

金沢で26年を過ごした彼は、徳川家康によるキリシタン国外追放令を受けて、前田家に迷惑が掛かるのを怖れたのか、ついに加賀を退去することになる。彼が新天地として向かった先はマニラだった。日本を出るとき、誰かに認めたとされる彼直筆の文書が残っており、番組でも紹介されていた。宛先の名が書かれていないのは、相手への迷惑を慮ってのことのようだ。彼に徳川家の意向を伝えなければならなかった前田家3代当主の絵には、十字架模様の紋付が描かれており、高山右近の強い影響がうかがわれる。

マニラへやってきたとき、宣教師などの報告によって有名人だった高山右近は大歓迎を受けた。しかし、熱病に侵された老体は長くは持たず、40日後に死亡してしまった。番組ではその遺骸を捜すプロジェクトが失敗に終わったことや、戦中にマニラから遺骸を持ち帰ったとされる人物によって日本では墓が建てられていることなども紹介されていた。

1時間のドキュメンタリーで、ちょっと突っ込みが浅いところもあるが、高山右近と金沢との繋がりを紹介する番組としては十分だった。でも本当はもっとしっかりとした調査と研究に裏打ちされたものの方がいいけども。まぁしょうがないね。

なかなか面白かったですよ。




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新年早々 [日記]

1階でお雑煮を食いながらまどろんでいたら、2階でバキッというものすごい音がした。

家を覆っていた木の枝が折れて屋根に激突したのか、泥棒か、よもや柱が折れたかなどと思い慌てて2階へ駆け上がってみると!

物干し竿が折れていた・・・(´・ω・`)

なんやねん、何も干してなかったのに。

前の住人が残していったいかにも安物の竿で、ちょっと干しただけでしなりまくっていたのは確かだが、まさか自重でヘシ折れるとわ。お前はそれでも物干し竿か。

北陸はずっと雨だし、どうせベランダには最低1週間は干せそうになかったので、ネットで買ったわ。

元旦に買って、いつ届くのだろう。



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謹賀新年 [日記]

あけましておめでとうございます。

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本年もよろしくお願いいたします。


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