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「ゴジラ 怪獣惑星」(2017年公開)感想 [映画]

明日観に行こうと思っていたのに、今日で上映終了だったんで急遽イオンシネマに脚を運んだ。

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「ゴジラ」冬休みまでやらないとかなんやねん! 子供に見せる前に上映終了とか有り得んわ。何だよー12月1日安かったのに。前売り買えばよかった。

やたらと評判が悪かったけど、最初から最後まで隙なく面白かった。後半のドンパチはもちろんだが、前半が鼻血出そうなほど良かったわ。どの設定も伏線になり得るから、今後の予想がまったくつかない。2作目以降、誰が何をやらかしてくるかまるっきりわからん。

3部作の第1作目としてはかなりハイレベル。3部作で先の展開が読めてしまうのは最悪だから、これくらいわからん方がいいと思うね。人類だけでもややこしいのに、人類以外も絡んでくるからかなりこじれている。専門用語はSF好きならそんなに難しくないし、繰り返し出てくるので何となく意味が分かるようになっている。いままでの「ゴジラ」映画ではまったく描かれることのなかった濃密な人間関係(地球人以外も含む)だった。「ゴジラ」映画の盲点を突かれた感じ。やはり3部作は強い。

ここから真面目な感想。

個人的に気になっていたゴジラの文芸的な立ち位置は、「シンゴジラ」の放射能関連の暗喩からは離れて、自然=(人間にとっての)厄災といった感じだった。自然が人間の手中から大きくこぼれ、操舵不能になっているところが過去作の自然とは違うところだ。

これは日本の老人世代の盲目的自然主義をあざ笑うかのような厄災、天変地異そのものであり、自然が進歩しすぎて人類との共生なんて絶対にできないところまで進化し、人類が逆に追い詰められている。環境に負荷をかけまくる人間に対し、環境=自然サイドが悲鳴のような進化を遂げ、対人類の先兵として生み出したのがゴジラだ。まさに御神木。崇め奉るしかないところまでゴジラが究極進化を遂げていた。アニメでしかできない設定だろう。

自然=厄災と書いたが、崇め奉ることで自然との共生をなしていた時代なら、ゴジラや他の怪獣たちはあそこまで進化しておらず、人類に襲い掛かることもなかったが、自然の方が「もう辛抱我慢たまらん!」というところまで人類に追い詰められてゴジラ誕生となったようだ。なんか前日譚の小説か何かがあるんだって? それを読まないとなぁ。読んでないんすわ。

これは初代「ゴジラ」の劇中での設定を引き継いだものだ。劇外から眺めたとき、「ゴジラ」は「戦争がもたらした大きな被害」の暗喩だったが、劇中ではゴジラは神のように畏怖される存在であった。神楽踊りにもなり、いつしかやってくる厄災であった。自然を畏怖し、崇め奉り、自然と折り合いをつけなければ厄災としていずれ大きな恐怖がやってくる。おそらくあの劇中の設定を膨らませていって今回の設定になったはずだ。

初代「ゴジラ」は人類の英知(戦争の産物)オキシジェンデストロイヤーで自然=厄災をやっつけてしまったが、「ゴジラ 怪獣惑星」では人間の方がやっつけられてしまっている。もう勝てる勝てないのレベルではなく、人類は負けた方がいい、諦めた方がいいとさえ思ってしまうほど、ゴジラは自然そのものだ。ガイアの具現化といっていいかもしれない。

昭和ゴジラの感想で詳しく書いたが、ゴジラシリーズには自然主義=平和主義の象徴としてモスラという怪獣が出てくる。モスラは戦後民主主義者の自然主義崇拝を具現化したもので、商業主義=開発主義を否定する存在として描かれている。開発を否定した人類には優しいが、開発を肯定した人類には厳しく接するという戦後民主主義者のご都合主義そのもののような怪獣だ。ゴジラが意味なく人類を苦しめようとするとどこからともなく現れて、ゴジラを倒してくれる。

偽善の塊のような怪獣モスラは、人類が完全に地球と敵対する文明を築いてしまい、怪獣が跋扈し始めたとき、人類を助けなかったようだ。追い詰められた人類は、AIが導き出した居住可能な他惑星へ脱出を試みる。人類は選抜され、わずかな人間だけが地球を後にした。

そこで問題になるのが、地球に取り残されて2万年の時を経た人類の生き残りだ。

主人公チームは地球を脱出したときの姿のままだが、怪獣天国で2万年を生き延びた(はずの)人類は、激変した環境にどのように適応し、どのような自然観を持つに至ったのか。自然の奴隷である原始人となっているのか、もっと違う何かになっているのか。モスラの登場とともに楽しみな部分である。

また、ナノテクノロジーとAIという(宇宙人を含む)人類側の進歩主義は、メカゴジラがそれを具現化してくれるはずだ。そもそも怪獣の出現そのものが、人類を排斥するためにAIが下した決断っぽく(わからないが)、AIが神となって自然の中にあるすべての物質を使って人類が住めないように環境を作り替えた方向性もある。そのAIを設計した奴が怪しい。

もはや戦後の自然主義も開発主義も極限に至って訳が分からなくなった地球は誰のものなのか、そんな問いかけがあるのかどうか知らないが、少なくとも地球に負荷を掛けながら開発を続けた人類も、自己増殖を続けながら進み続けるAI(第2部に出てくるらしい)も、自然そのものとして再定義されたゴジラも、神に至る志向を含んだ存在であり、それらが覇権を争っているのが「ゴジラ 怪獣惑星」だということはわかった。3つの異なる神が覇権を争う惑星、それが地球である。

あまりに伏線たり得る設定が多いのでどう転ぶか判断できないが、もはや戦後民主主義のご都合主義はまるっきり通用しないレベルに達した脚本であることは確かだ。

「シンゴジラ」の感想を書いたときに後半でこの作品についても触れ、ゴジラをアニメでやる意義について、特撮という縛りから逃れて自由を得ることが肝心だと書いたが、まさに特撮という予算と技術的限界に縛られた脚本からは完全に脱している。そうでありながら、ゴジラシリーズの要点は押さえてある。破壊したのはフォーマットや予定調和だろう。「水戸黄門」のように「ゴジラ」を観ていた人には拒否反応があるかもしれない。

また、ゴジラの文芸的な意味合いに真正面から向き合った作品でもある。開発を続け神に至ろうとした人類、自然力の隆盛によって神に至ろうとしたゴジラ、創造するものとして神に至ろうとするAI、これらは国内的にも海外的にもまさにGODZILLAそのものであり、GODZILLA以外では表現できなかった題材だ。

神の三竦み状態。アニメ版ゴジラは異なる3つの神が、地球の覇権を争っている作品、そう思えてならなかった。

まだ3部作の1本目だから結論は出さないけども、個人的にこの作品は「ゴジラ対ビオランテ」を越えてきそうな気がする。やはり思っていた通り、「ゴジラ」の行き詰まりは様々な限界に縛られた脚本であったのだ。

ハリウッド版の「GODZILLA」は映像技術によって過去の限界を越えたが、脚本はそのままであった。

「シン・ゴジラ」は演出で初代を越えた。

「ゴジラ 怪獣惑星」はついに脚本でゴジラの限界を越えてきそうなのだ。これは喜ばしいことだ。

ポリゴン・ピクチュアズによるアニメ版ゴジラ以降、日本で制作されるゴジラは、過去のゴジラとは決別した、新しいゴジラを模索してもらいたい。ちょうど来年には元号が変わることでもあり、昭和でも平成でもない、次の時代のゴジラを1から作っていってほしいのだ。

そのベースになるのは、あくまで文芸、ホンなのである。ホンが書けないのなら「ゴジラ」も作るべきではない。





にしても、11月中に終わるってわかっていたら、もっと早く観に行くんだった。

彼女さんが「12月1日なら1100円だって。前売り買うより安いじゃん。この日でいいんじゃないの?」って言うんで、前売りも買わず・・・すっかり騙されたよ。

次は「ブレードランナー」かな。これも評判悪いんだよな。

ネットの評判なんてアテにならんけども。金子さんも絡んでいるとか。


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「犬と私の10の約束」(2008年公開)感想 [映画]

犬の出番が思ってたより少なかったが、可愛いし、いいんじゃないですか。

犬、飼いたいけど死んじゃうからなぁ。

それが辛くて飼う決心がつかない。

映画はなかなか良かった。


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Twitterまとめ投稿 2017/11/30 [日記]


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「ハイキック・エンジェルス」(2014年公開)感想 [映画]

アクションものと勘違いして視聴したが、なんだろ、おそらく青春映画。

でも青春映画としてはそんなに脚本が良くなくて、なんだろーなー、この感じ何か知ってるんだけどな。

青春映画なんだけど、青春映画としてはさほど良くなくて、アクション映画じゃないのにアクションはそこそこ出来ている。女子高生たちのハイキックは威力がないけどちゃんと当たりそうな間合いで蹴っていて、おそらくは経験者。足首も返っているしキレイ。でも脚は太い。

狙いはわかるんだけど、核になるはずの映画への情熱みたいなものが全然見えてこなくて、戦いも敵を倒す目的や理由が希薄なので痛そうに作れていない。

面白くない「けいおん!」みたいなものかな。



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「仮面ライダー対じごく大使」(1972年公開)感想 [映画]

1972年夏の「東映まんがまつり・へんしん大会」で公開された劇場オリジナル作品。おそらく初見。もしかしたら母親と一緒に観に行ったかもしれないのだが、1972年当時はまだ幼く、妹が生まれたばかりでそれどころじゃなかったはずだ。

どこかで観たことがある微かな記憶があるのは、仮面ライダーカードでカミキリキッドのことを知っていたとか、のちにビデオで観たとか、テレビ放送で観たとかそんなところなのだろうが、なにせまだ小さかったので詳細については覚えていない。

序盤で本郷猛と滝和也がオートレースに参戦するくだりも、映像より石ノ森章太郎の漫画の画像で再生されるので、似たような話を漫画で読んだのだろう。

話の作りが面白く、いま観ても楽しめる作品だ。撮影当時、主演で本郷猛役の藤岡弘が失踪事件を起こし、撮影が中断されている。この事件は有名な話なのだが、藤岡はNHKのドラマ「赤ひげ」のオーディションに合格し、そちらを優先したかったが、当たり役になっていた「仮面ライダー」の撮影束縛時間が異様に長く(ロケが多い)、掛け持ち出演が出来なかった。そこで事務所の判断でストライキ的な行動をとったというのが真相のようだ。そこでゲルショッカー編からはスケジュール調整が行われ、藤岡弘は掛け持ちが可能になった。

そもそも「仮面ライダー」が当初の「長くて1年」から2年に延びたことも原因の一つだ。いまなら人気が出たからといって役者に延長をごり押しすることはできないが、当時はテレビ局の方が権限が強く、売れてるのに降板は許されなかった。また、「仮面ライダー」をシリーズ化させるという知恵もなかった。藤岡弘が売れない役者で「仮面ライダー」意外に仕事がなかったらもっと長く続き、「仮面ライダーV3」すら生まれなかったかもしれない。逆に言えば、藤岡弘が売れっ子になったために「仮面ライダー」はいまに続くシリーズになった可能性すらある。

藤岡弘本人があまり語りたがらない事件であるせいか、詳しいことはわからないのだが、「仮面ライダー」を1年で区切れば、藤岡はもっと多くの仕事を得ることができたかもしれない。しかし、逆にいまの時代に忘れ去られていたかもしれない。特撮ファンの義理堅さは有名で、どんな名優でも時代が変われば忘れ去られていくのに、特撮作品に出演した俳優はずっと忘れられずいつまでもイベントなどに呼ばれる。

地獄大使役の潮健児もそうだし、滝和也役の千葉治郎もそうだ。千葉治郎は千葉真一の弟なのだが、特撮ファンにとっては彼はいまでも滝和也なのだ。こうした話は、特撮作品に魔女役で多数出演した亡くなった曽我町子さんなんかもよく言っていたものだ。いつまでもいつまでも覚えていてくれると。若い役者にとってヒーローものを演じるのはときには黒歴史かもしれないが、子供たちにとってはずっとヒーローのままなのである。



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「仮面ライダーアマゾン」(1975年公開)感想 [映画]

1975年東映まんがまつりで上映された作品。テレビシリーズ第16話と同じ内容。どうも再編集すらやってないようだ。

オレはスーパーでキンメダイを見かけるたびにこいつを思い出す。アマゾンが乗ってるジャングラーがキンメダイそっくりなのだ。もちろんアマゾンで買い物するたびに「アーマーゾーーーーン」的な気分にもなる。体のいいおっさんホイホイだ。

小林昭二が健在なので立花藤兵衛も出てくるし、アマゾンの協力者モグラ獣人も見られる。敵もガランダー帝国に変わった時期らしい。放送当時に熱中してテレビに噛り付いていたがさすがに細かいところまでは覚えていない。

前作「仮面ライダーX」終了時だったか、次の仮面ライダーの名前を当てるというシルエットクイズが出題され、アマゾンの黒い影が映されたことがあった。弟と一緒に真剣に考えて応募しようと思ったら、すでにてれびくん的な雑誌で名前が発表されていると知り腹を立てたのを覚えている。我が家は児童小説はいくらでも買ってくれたのだが、テレビ雑誌は買ってくれなかったのだ。なんか腹立たしかったので応募はしなかった。

この映画の見どころは(といっても第16話だが)、アマゾンの大切断で額を割られたゲンゴロウ獣人が、頭から体液を吹き出すところだ。かなり思い切って噴き出す。

ジャイアント馬場の脳天空竹割りで血を噴き出すアブドラ・ザ・ブッチャーみたいだ。笑える。

ゼロ大帝はのちの仮面ライダー作品にも登場していたな。

この当時の特撮やアニメソングは本当に燃える。




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「ジャズ大名」(1986年公開)感想 [映画]

筒井康隆の同名小説を岡本喜八監督が映画化したもの。筒井康隆作品としては異例の面白さ。劇場で観ているし、ビデオも買った大好きな作品だ。

奴隷解放で仕事を失い、餞別代りに楽器を貰った黒人3人が、アフリカへ帰ろうとしたところ船が座礁し、かろうじて小舟に乗って流された果てが幕末の日本だったという話で、幕末の混乱を傍観していたさる大名が彼らと出会ったことで開き直り、藩政を放棄して関所を廃止し、城中でジャズセッションのバカ騒ぎを演じるという内容。

リンカーンの奴隷解放の評価などが独特ながら思想性は特になく、尊王とか攘夷とか公武合体とかそうした幕末の重要な価値観に一切重きを置かない。それが良いとか悪いとかいう評価もなく、ジャズセッションのバカ騒ぎに明け暮れたところ、いつの間にか開国していたことになっている。

おそらく一番ふざけた幕末ものだろう。オレは好きだが、幕末歴史ファンには不評かもしれない。

大名がクラリネットを貰って吹きまくっているのは、筒井康隆がクラリネットをやっていたため。最後にタモリがラーメン屋の親父役で出演する。なぜ幕末にラーメンなんだとか堅苦しいことは言わないこと。ただラーメン屋の親父をチャルメラ吹きとして出しただけだ。

古谷一行と財津一郎の掛け合いが楽しい、ギャグ映画である。



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「忍者狩り」(2015年公開)感想 [映画]

散切り頭にジッパー付きの革ジャンをまとったコスプレ時代劇ながら、殺陣が良く出来ていて楽しめる。というより、いままで観てきたどの作品より殺陣が工夫されていた。これはなかなか素晴らしいじゃないですか。時代劇ではなく、アクション映画の部類でいいはず。

それはいいんだけど、記憶喪失が回復する場面がチカチカしすぎなのが眼に悪い。ああいう演出、何とかならないのかと。平成仮面ライダーっぽい演出だった。

低予算映画で、舞台がヘンな石積みのある洞窟の中とお寺の境内しか出てこない。舞台を拡げるとロケハンから何から手間もかかればカネもかかるので、とにかくそういうものは全部削って、アクションに特化してある。それもひとつの方向性だから悪くは言わない。

こういう低予算映画はもっとたくさん作るべきだという意見なので、オレは肯定派かな。それにアクションは本当に良い。ジャッキー・チェンの映画みたいに、工夫を凝らした様々なアクションシーンを作れればそれに越したことはないが、とりあえず殺陣に全振りした作品もあっていいと思う。

脚本の作りとしては、記憶喪失の時限的な情報公開を上手く使っている。記憶喪失ものの基本てっきな筋立てになっている。よくあるパターンだ。大体こんな感じ。

①記憶を失っている男が目を覚ます。辺りには大勢の人(忍者)が死んでいる。

②そこに伊賀忍者を名乗る邪鬼が姿を現し、戦闘となる。

③廃寺で2人の忍者(狐野と密通)が女忍者を待っている。目的は女が持ち帰るはずの密書。

④記憶喪失の男の名は突悪だと邪鬼に教えられる。邪鬼は突悪の幼馴染だという。

⑤女忍者が死んでいる。その女(楓衣)も幼馴染で、楓衣と突悪は洞窟で待ち合わせていた。

⑥女忍者は甲賀に潜入し、甲賀、伊賀双方の裏切り者を記した密書を持っていたはずだった。

⑦洞窟の中で死んでいる忍者は伊賀者だった。

⑧さらに甲賀者の襲撃を受け、突悪と邪鬼で撃退する。

⑨廃寺で待っていた2人の忍者が洞窟へ向かう。

⑩密書がないことを理由に、邪鬼が突悪を洞窟の外へ連れ出す。

⑪突悪、邪鬼、狐野、密通が出会う。ないはずの密書はすでに狐野が女から受け取っていた。

⑫密通がなぜだと怒るが、彼の名が密書にあったことを理由に邪鬼と狐野が彼を殺す。

⑬密書には突悪の名もあり、楓衣は彼を逃がそうと洞窟へ行ったが、突悪に殺されてしまった。

⑭洞窟の伊賀忍者と邪鬼は、楓衣の後を追うように狐野が差し向けた。

⑮狐野は突悪を見逃してやると言って逃がそうとする。

⑯突悪が記憶を取り戻し、真の裏切り者は狐野だと知る。

⑰楓衣は密書を作っていなかったと狐野が告白する。

⑱突悪と楓衣はともに上忍によって命を受け、裏切り者を探していたと分かる。


洞窟内の戦闘シーンは、4回、記憶が蘇るごとに繰り返し描かれている。邪鬼に促されるままただ倒したと思い出す場合、楓衣と落ち合い密書がないと分かった場合、楓衣と落ち合い突悪が裏切り者だった場合、楓衣と落ち合い狐野が裏切り者だった場合。基本的な殺陣は一緒だが、立場の違いによって役者が演じ分けているところが良い。

オレはこういう脚本が好きなので気に入ったが、何度も同じ場面が描かれることに違和感を持つ人もいるだろう。歴史考証を無視しているので、そこが気になって楽しめない人もいるだろう。ほぼ同じ場所でロケをやっていることが気になる人もいるだろう。

作品を評価する際に重点を置くところはみんな違うので仕方がないが、考え抜かれた殺陣や役者のアクションの素晴らしさまでは否定できないはずだ。

個人的にはかなり高評価だ。ただ、好き嫌いは分かれるだろうし、時代劇だと思って観てしまうと拒絶反応もあるだろう。

戦闘シーンが好きな人にはお勧めかな。



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Twitterまとめ投稿 2017/11/29 [日記]


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「徳川家康」(1965年公開)感想 [映画]

山岡荘八の原作を伊藤大輔が脚本に起こし自ら監督した作品。徳川家康が生まれる前から桶狭間の戦いまでが描かれている。

岡崎の松平家に生まれた竹千代が、母との別離、尾張、駿府での人質生活を経て今川義元の下で元服、尾張攻めでの大高城兵糧入れから岡崎城帰還を果たすのだが、これに織田信長の一計が絡んでいるという設定。信長は誘拐した竹千代の保護から彼の母である阿久比の於大の方への援助などを、のちの同盟に繋がるものと最初から見抜いていたかのような話になっている。もちろんこれは作劇上の都合でこうしているだけで、実際は違う。

信長の先見の明を中心に置いて、話の筋を通しているのだ。いまは時代考証にうるさい人が多くてこうした工夫がやりにくくなっている。「劇を作る」ことと「歴史を映像化」することは違って当然なのに、史実と違うと難癖をつけるのはどうかしてると思う。そんなことばっかりやってるから作劇のレベルは落ちる一方だ。

この映画の時代劇のフォーマットは非常に古く、時間経過を演出するのに文字に起こした暦を進めたり、時計を二重写しにする。そうした部分に凡庸さを感じる向きもあろうが、暦や時計を使って時間軸を説明する方法は、伊藤大輔監督らがやり出したことなのだ。いわば元祖。こうした手法の発明で、時代劇が作りやすくなったのだ。

作品の魅力は何といっても役者の演技の素晴らしさだ。「徳川家康」なのに主演は織田信長役の中村錦之助(萬屋錦之介)、肝心の徳川家康(劇中ではまだ松平元康)は若手俳優だった北大路欣也が務めている。この両役者の演技が本当に素晴らしい。

カカと笑うだけで絵になる萬屋錦之介はもとより、北大路欣也も負けず劣らずの熱演である。三河武士相手に散々演説する役どころだが、一本調子にならず、グイグイ話に引き込んでくれる。脇を固める役者もすべて素晴らしく、文句のつけようがない。こんな名優をたくさん使えた時代の映画監督はさぞ幸せだっただろう。いまなら全部エグザイルがやりそうだ。

2時間23分に及ぶ超大作ながら、時間を感じさせない面白さだ。

それに、最近の歴史ファンはゲームから入った人が多く、徳川家康といえばタヌキ親父といったステレオタイプなイメージしか持っていない人が多い。山岡荘八の原作から入った人が多い時代とは、家康のイメージが本当に変わってしまっていると感じる。タヌキではなく、ひたすら辛抱に辛抱を重ねてきた熱血漢だということを知ってもらうには良い作品かもしれない。

家康は信長などよりよほど頭に血の登りやすい人物像なのだが、信長の下、秀吉の下では我慢するしかなかったのである。あまりに頑なな武士である戒めとして、三方ヶ原の脱糞の肖像(違うとの説が優勢)も描かせたくらいである。この映画における北大路欣也の熱演は、徳川家康のイメージにはぴったりだと思う。

古い作品で、時代考証も確実ではないが、良い時代の良い時代劇だと思って楽しんで欲しい。



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