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手塚治虫「アドルフに告ぐ」読了 [読書・漫画]

裏山の下草刈ってから手塚後期の傑作「アドルフに告ぐ」を一気に読む。

この作品、週刊文春に連載されたのだが、編集者との打ち合わせで手塚が示したいくつかの案のひとつであり、作品の方向性も出版社依頼で変更されている。

こんな作品のアイデアが頭の中に眠ったままになっていて、下手すると陽の目を見なかったかもしれないとか、当初アイデアを変更した上でこんな大河を描き切ったとか、自身の病気(癌)で後半は大幅にカットされているとか、ちょっと信じられない。それくらい良い。

ヒトラー=ユダヤ人説をヒントに構想された作品で、現在では否定された学説であるものの、もちろんこの作品は史実を追求するのが目的ではないので、その部分は批判の根拠にはならないだろう。そんなことより、これほどハードな内容を構想し、構成して描き上げたのが最晩年であったことに驚く。

オレにとっての手塚は、物心ついたときにはすでに漫画の神様であった。流行の絵柄ではなかったので、二世代前の漫画家というイメージで接していた。「ブラックジャック」や「ブッダ」が連載中であったのに、それらを読んでも同時代の漫画家という感じはまったくしなかった。

当時は「絵柄が古めかしいから」同時代性を感じないのだとばかり思っていたものだが、「ブラックジャック」にしろ「ブッダ」にしろ「アドルフに告ぐ」にしろ「陽だまりの樹」にしろ、読書体験中に生じる作品評価にあってすでに「古典的傑作」という意識があったからかもしれないと思い始めている。他の若い漫画家たちと同じ土俵に立っていながら、作品レベルは他を圧倒していたのだ。

主にキャラ造形において新規性に乏しかった手塚は、漫画雑誌の読者アンケートなどにおいて苦戦することが多かったものだが、当時の作品がほぼ記憶から消え去ったいまになっても、手塚の作品だけは輝き続けている。「アドルフに告ぐ」など、手塚の最晩年であって、他にいくつもの傑作漫画を世に送り出し、アニメに進出してそれなりに足跡を残した後に描かれているのだ。奇跡的な創作者だったとわかる。

一世を風靡しただけの天才なら、死後数年で再評価の機運が出てくるものだが、手塚は最晩年に至ってなお他の漫画家が生み出せない数々の傑作を世に送り出したために、死後に手塚ブーム・再評価のようなものは起こっていないはずだ。だが、「火の鳥」「アドルフに告ぐ」と読んでみて、いずれは手塚の功績は洗いざらい再評価され、不世出の天才であることが改めて認識されるはずだ。

天才であることや神様であることが自明であったために、当たり前の評価を下すことを評論家が避けた結果として、手塚は宙ぶらりんな場所に置かれたままになっている。

映画も漫画も文学でさえそうだが、日本の評論は何かがおかしい。人物を時代性の中に落とし込むことができていない。漫画もアニメも、もっと多く語られ、時代の中に作家の確かな足跡として刻印するべきだ。

と、感動に鳥肌を立てつつ思案した次第。

続けて「陽だまりの樹」が読みたいところだが、あいにくオレも彼女さんも持っていなかったので、絶筆となった「ネオ・ファウスト」でも読んで、いったん手塚から離れよう。






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Twitterまとめ投稿 2017/09/06 [日記]


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