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手塚治虫「火の鳥」読了 [読書・漫画]

細々した仕事の合間を縫って手塚治虫の「火の鳥」を読んだ。

今回は時系列順に読んだのだが、手塚の構成力は人間離れしている。石ノ森のようにスタッフ総出で新キャラを考え続けるのとは違い、ほぼ一人で全部構想し構成しているのだから驚きだ。

長年書き続けた作品なので絵柄などずいぶん変わってきているのだが(というより意図的に変えた)、時系列順に書かれた順番をバラバラにして読んでも一貫性があって、破綻がない。だがそんな評価が二の次になるほどどの作品もあっという間に独自の世界観に引き込まれていく。

実を言うとオレはあまり漫画を読んでこなかった人間で、活字の方が好きなのだが、「火の鳥」だけは活字では味わえない没入感を読むたびに味わって感動する。

最後に「未来編」を読んで〆たのだが、「未来編」が1967年初出、最後の作品になった「太陽編」が1986年初出。約20年の歳月が開いているのに関わらず、「太陽編」の後に「未来編」を読んでも違和感がない。どうしてこんなことができたのかまったく理解不能だ。手塚の頭の中はどうなっていたのか。なぜ20年前の作品である「未来編」が陳腐にならなかったのだろう。

「火の鳥」は、遠い過去と遠い未来を順番に描きながら最後は作者の最終到達点である現代(死ぬ間際に観た世界)を最後に終わる構想だったそうだ。結局は手塚が病に倒れてそれは叶わぬままだったが、「未来編」は「黎明編」の冒頭に繋がり、完全に循環ができている。その壮大な物語のほんのわずかな時間に生きた自分の生涯の最期を完結の舞台に選んだ手塚の天才ぶりは本当に傑出したものだ。

せめてあと10年生きていたなら、「現代編」も描かれたのであろうか。

手塚の晩年、やせ細った彼を平和主義団体が講演に引っ張り出して酷使していたのはいまでも鮮明に覚えている。「平和」という言葉に我を忘れて目の前にいる人間の体調を一切慮れない精神は、「平和」のみならずあらゆる言語を陳腐化させ、腐らせていくだろう。

言葉を輝かせた人が、言葉を腐らせる人に殺されていったのはいかにも残念だ。




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Twitterまとめ投稿 2017/09/04 [日記]


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