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「墓場鬼太郎」(2008年作品)第4話~11話(最終回) 視聴 [アニメ/特撮]

昭和の時代って本当に不潔だったよなと、忘れてしまい過去を思い出させてくれる作品だった。

ねずみ男なんてルンペンだもんな。汚すぎる。

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好き嫌いはあるだろうし、最近のアニメ漫画にしか接していない人には耐えられないかもしれないが、昭和の時代でさえこんなに汚いのだ。日本より遅れている外国なんて、いまだにこのアニメよりもっと汚いぞ。まだ人々が文明人なだけましだ。アフリカの一部の国なんかそれはもう・・・。

貸本屋時代の日本って、本当に汚かった。オレはまだ生まれていないが、いま貧乏の象徴のように言われている2DKの団地に住むのが憧れだったんだからなぁ。文化住宅なんて言葉もあったくらいで、団地や文化住宅がこのアニメの世界に出てくる長屋などをどんどん潰していったのだ。まぁ、潰れても仕方なかったんじゃないかな。汚いもんな。

金持ちと貧乏人の差が激しくて、さらに金持ちは本当にごく一部の人間だけ、その他大勢はみんな貧乏だった時代だ。作者の水木しげるさんは、それよりはるか前に生まれており、従軍経験があり、何かへまをしでかして部隊を全滅させたという。自身の腕もなくしている。

「墓場鬼太郎」は、連載を重ねるごとに漫画キャラとしては薄味になってくる。第1話の誕生のシーンが一番ショッキングで、霊力が強いという部分が強調されてくると当初の濃さがなくなってくる。ずっと当初のままだったら売れなかっただろうなぁ。

アニメの「ゲゲゲの鬼太郎」は、第2シリーズを全部観ている。第1シリーズの白黒版は観たことないはずだ。第3シリーズは知ってるだけ。でも一番売れたのは第3シリーズだと聞いたことがある。アニソンのインパクトが強いのは第2シリーズだろう。あれはOP、EDともに傑作だった。

「ゲゲゲの鬼太郎」で定着していた作品だが、時代が遡るとともに強烈さが薄れていたので、いつか「墓場鬼太郎」をアニメ化できないかという願望は当時のアニメファンの間にはあったのだ。おそらくはその時代の連中がテレビ局に入り、企画として成立したのだと思う。アニメとして面白い試みだ。こういうのとか、「ピンポン」とか、当時のフジテレビは頑張っていたのだなと。

時代に寄り添いながらキャラとして生き続けた鬼太郎の原点回帰作品であり、強烈な昭和臭漂う作品だ。冒頭で書いたが、60年代が古い時代を改変する時代であった。70年代になると「墓場鬼太郎」の世界観は世界の片隅に押しやられてしまっていた。縞のちゃんちゃんこに下駄ばきの薄汚い、子狡い、貧乏で、いつも腹を空かせたクソガキなんて、戦前の田舎にしかなかったんじゃないか。でも、そんなクソガキにすら居場所があった時代とも言える。

時代に寄り添うことでキャラとして生き延びた鬼太郎は、原点回帰をするとやはり生み出された時代へと帰っていくしかなかったのだろう。いまや墓場ですらコンクリまみれ、もっと新しいのだとビルの一室の壁の中なんて墓場もあるからな。

そんな現代でも、死というものがある限り、鬼太郎は生み出され続けるのだと思っている。

鬼太郎はいつかまた時代を背負って蘇るはずだ。




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「ウルトラマンネクサス」(2004年作品)第34~37話(最終回) 視聴 [アニメ/特撮]

打ち切りになっただけあって、バタバタの終わり方だった。面白かったのに勿体ない。

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結局上の画像は一度も出てなくて、なんの画像なのかさっぱりわからん。差し替えが面倒なのでそのままにさせていただきます。

3人目のデュナミストである千樹憐が倒れ(死には至らず)、4人目のデュナミストに西条凪が選ばれる。ビーストに親を殺され、強い復讐心を持つ西条凪が光の力を手に入れたことで、TLT-J内部の裏切り者がついに姿を現した。

その者の名は、ナイトレイダー隊員、石堀光彦。彼は18年前の来訪者(ULTRAMAN)研究チームのメンバーで、本来の名は山岡一。その山岡が、来訪者が語った最悪の敵であるザギ(ダークザギ)に身体を乗っ取られ、山岡として来訪者研究の傍らにずっといたのだった。

来訪者の知識によって製造された大型記憶消去装置レーテ。その上にTLT-Jの基地が建設されてからは、石堀光彦という別人の経歴を乗っ取り、隊員たちの記憶や自らの記憶も改竄しながらナイトレイダー隊員として基地内に潜伏していた。それは、いつかやってくる未来を予知していたからで、その未来に到達するために西条凪がまだ幼少期のころにビーストとして関与し、彼女の両親を殺し、凪に強い恐怖と憎悪を植え付けた。また溝呂木眞也を使って凪に力への憧れや復讐心を植え付けることさえ行っていた。

ところが、半自律的行動を取っていた溝呂木眞也が、自分と同じように斎田リコを使って孤門一輝に関与したことがあだとなる。

凪が光の力を得たと知った石堀光彦は、用済みとなった平木詩織を撃ち、誘うようにレーテの前へとナイトレイダー隊員たちを誘い出していく。言葉巧みに凪が変身するように仕向け、その光の力がウルトラマンのエナジーコアを模したレーテに近づくと、凪の中に溜まっていた恐怖と憎悪が光の力を反転させ吹き出し、レーテで増幅され、石堀光彦の身体に注ぎ込んだ。これによってザギは力を取り戻し、ダークザギとして復活する。彼はこの時をひたすら待っていたのだった。

ダークザギにとって凪の利用はそこで終わったが、溝呂木眞也が作り出した孤門一輝という存在が彼には予知できていなかった。リコの死を乗り越え、姫矢准、千樹憐といった光に選ばれた者を傍で観てきた孤門一輝は、恐怖と憎悪に飲み込まれた西条凪を救出しようと闇の渦の中に身を投じる。かつて自らが川で溺れたときに効いた「諦めるな」という言葉で凪の意識を元に戻した孤門一輝は、彼自身が5人目のデュナミストとなって、ウルトラマンとしてダークザギと戦った。

という内容を、1話でやってる。

もしこの内容を1クールでやっていたら、西条凪のウルトラマンの強さと危うさも充分に表現され、石堀光彦の裏切りが長期間にわたって計画されていたこと、溝呂木眞也を自由にやらせていたことで思いがけず孤門一輝を覚醒させてしまったこと、何もできずただ見ていただけの孤門一輝が、実は多くの恐怖や絶望を乗り越えてきた勇者であること、その彼がウルトラマンとして光の力をさらに進化させる強さをも秘めていたこと、いろいろやれたと思うんだよね。

これは本当にもったいない。なぜやらせなかったのか、CBC。

どうやら当時かなり批判にさらされたらしい映像も、昨今のウルトラマンシリーズの映像の作り方と同じで、本当にこれを批判する奴らって何が気に入らないのだろうかねぇ。普通に平成シリーズの続編だと思って観ていたのだろうな。このあと「ウルトラマンマックス」のはずだが、平成シリーズの後に「ウルトラマンマックス」をやっていたら、脚本はすぐさまマンネリ化していただろうに。

個人的に悪いと思うところは、前回の感想でも書いたが二元論的な世界観かな。光と影は終わらない結論なんだよな。最後に孤門ネクサスが天使みたいな風貌になるけど、ああやって光が勝っても、その圧倒的な強い光がより強い影を生むとかやり始めるから、ずーーーっと同じことの繰り返し。二元論には根本的な欠陥があるんだよ。非哲学的なんだね。

悪は、影とか悪魔とかで表現すると二元論に飲み込まれて、答えは出ているのに結果がない。悪は仏教の提婆達多でないとね。提婆達多は批判者だから、彼が頑張れば頑張るほどに仏陀の思想的な優位性が強化されていく構造になっている。だから仏陀は自らの批判者である提婆達多のことを見習えと弟子に教えている。

そういう気に入らない部分もあるが、「ウルトラマンネクサス」はとても面白い物語だ。登場キャラが良く描けていて、ドラマとして優れている。

あまりに評判が悪いので、もっとボロボロなのかと思っていた。

売れなかったという事実に粘着バカがたかってきてただけだったんだな。

画像が違っていたのは本当に申し訳なかった。左のウルトラマンは誰やねん。




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「夏目友人帳 陸」第8話 感想 [アニメ/特撮]

遠出した帰りの駅で、夏目貴志は1通の手紙を拾った。

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手紙の持ち主はすぐに見つかった。その手紙の持ち主はなぜか夏目貴志が気になって、手紙の差出人を探しているから君の学校まで案内してくれないかと頼んできた。

怪訝に思った貴志だが、幼馴染を探しているというので彼を自分の学校まで案内することにした。校門に着いたとき、西村が話しかけてきた。ところが西村にはその男が見えていなかったので、やっと夏目は手紙の持ち主が妖だと気づいた。

その妖はカラスのような素性の妖だったが、幼きある日に怪我をして、群れを離れて生活したことがあった。その際に、夏目と同じように妖が見える少女と仲良くなった。

少女は何度もあっているうちにカラスの妖のことが好きになった。彼女は彼を自分の学校に連れて行ったりもした。ところが、烏の妖がそこで目にした光景は、人間の友達がいない少女の寂しい姿だった。

カラスの妖は判然と悟り、自分は少女に遭い続けていてはいけないと理解した。そこで彼はある山の門番として修業することに決め、少女とは会わない誓いを立てた。

妖と少女は、廃屋の郵便受けを使って連絡を取っていたが、烏の妖は修行している間には一切そこに近寄らなかった。数年が経ち、やっと修行もひと段落着いたことで妖は何気にかつて連絡用に使っていた郵便受けの中を覗いてみた。するとそこには山のような手紙が詰まっていた。妖は一番上にあった手紙だけを取り出し読んでみた。

それは結婚式の案内状であった。少女は結婚することになったのだ。

妖は結婚式に参加して、少女への未練を断ち切ろうか悩んでいた。そこへ夏目貴志が現れたのだった。夏目は妖が見えるという同じ特色を持つ少女のことが気に掛かり、妖のことを忘れ生涯の伴侶を見つけたことに興味を覚えたことから、妖にぜひ結婚式に参列するように勧めた。そして高校3年生になるというその少女を探すことにした。

少女はすぐに見つかった。西村が通う塾に行ってみると、確かにその少女はいたが、結婚するというのはウソだった。彼女はカラスの妖のことが忘れられず、結婚をするというウソをついてもう一度彼と会うつもりだったのだ。






というお話。




これはアカンな。少女漫画っぽいけど、分別がなさすぎる。



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Twitterまとめ投稿 2017/05/31 [日記]


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「ウルトラマンネクサス」(2004年作品)第29~33話+詩織 -ロストメモリーズ- 視聴 [アニメ/特撮]

面白すぎて止まらんわ。なぜ打ち切ったかなぁ。最後まで作ろうよ、CBC。

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これが「ULTRA N PROJECT」で、あのリアルっぽいCGのウルトラマンがn/a。やっぱりなんか関係あったんだな。どちらも昭和の初代ウルトラマンの再構築だ。

「ウルトラマンメビウス」で確立したすべてのシリーズの融和路線とは一線を画した、もう一度初代から「ウルトラマン」を再構築する方向性をNまたはnに託していると見た。こちらは多分、ウルトラ兄弟路線ではなく、初代が持っていた映像や脚本のインパクトを現代に蘇らせたい意図があるはず。「ULTRAMAN」「ウルトラマンネクサス」などでやった方向性は、まったく別の路線として円谷プロの中で意識はされているが、それをどのように再構築し、誰に向けて、どんな形で売るのか定まっていないのだろう。

時期的に考えて、平成シリーズを続けていると、昭和と同じようにマンネリ化して尻すぼみになると危惧した人が上層部などにいて、初代と同じようにもう一度人々を熱狂させるようなものをメディアミックスでやろうとしたが、思ったより盛り上がらず、「ウルトラマンメビウス」に軌道修正、のちに「ウルトラマンネクサス」とは違った方向性の再構築を試みたのが「ウルトラギャラクシー大怪獣バトル」だったのかもしれん。

この作品は、シリーズ構成に優れていて、通して観るとなかなか面白いし、ウルトラマンが変身して戦うたびに疲弊して最後は死んでいくものの、光の力は誰かが引き継ぎ、いつかは命を失うとわかっていながら大切なものを守るために戦い続けるというストーリーが一貫していて、「ウルトラマン」や「ウルトラセブン」が持っていた悲壮さがあって見応えがある。今回見た番外編の「詩織 -ロストメモリーズ- 」も、大切なもののために、命を張って戦う男と女の姿が丁寧に描写されていてかなり良かった。

一方で、闇の力というものにちょっとこだわりすぎているきらいがあるかなぁ。光と影、善と悪の二元論的世界観に固執していると思う。

「ウルトラマンメビウス」の、昭和も平成もすべて含んだ融和路線とはまた違う、初代の「ウルトラマン」が持っていた要素を全部ばらして再構築するとき、「ウルトラマンネクサス」のような脚本的な再構築の試み、「ULTRAMAN n/a」のような映像的な再構築の他に、哲学的な再構築の方向性もあると思うんだよね。いつも書いている大人向けのウルトラマンってやつだが、2万年生きるということ、命を引き継げるということ、他の惑星に誕生した知的生命体に関与するということ、自己犠牲をいとわず戦うということなどを、突き詰めて考えて、哲学的な要素が際立つシチュエーションに、ウルトラマンの誰かを配置して、ウルトラマンは絶対的な価値によって何かに関与しているわけではないことを描くといった方向性。面白いと思うんだけどね。

二元論というのはそれ自体がひとつの答えになってしまっているから、光と影が延々と戦い続けるだけになってしまう。少年ジャンプの漫画ならそれでもいいかもしれないが、初代「ウルトラマン」は決して少年ジャンプのようではなかったよね。金城哲夫が描いたものは、そんなものではなかったはずだ。

ただ、どんな映像作品であれ、誰に向けて、どんな形で売るかを考えて、それに見合った予算で最高の映像を作らないと、商業作品としては成り立たない。オレはそういうものが出来ても、「ウルトラファイトオーブ」もろとも楽しめるが、「ウルトラマンメビウス」の融和路線や、「ウルトラマンゼロ」の熱血路線しか認めない人に向けて発表しても、「ULTRA N・n PROJECT」は売れないと思うんだよな。そもそもミニチュア、着ぐるみ以外受け付けない人もいるし。

オレはゾフィー主人公で、惑星間戦争に明け暮れる未来の人類にウルトラマンが関与する作品なら、OVAでも全巻買うわ。アマゾンプライムやネットフリックスでも観る。地上波でやるのは無理だろうなぁ。時代劇チャンネルみたいな特撮チャンネルが出来れば入会するし。

とまぁ、いろいろ考えさせられる作品が、「ウルトラマンネクサス」だ。これは別方向の試みのひとつだろうから、ネクサスが出てくる別のシリーズにする必要は全然ない。

オレの中では「ウルトラギャラクシー大怪獣バトル」も、「ULTRA N・n PROJECT」路線に加えたいところだ。

大丈夫。いつかこの路線も大きく当たるって。

気楽にいろいろやっていけばいいよ。若い子にやらせていけばいい。




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Twitterまとめ投稿 2017/05/30 [日記]


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「リトルウィッチアカデミア TVシリーズ」第21話 感想 [アニメ/特撮]

第1話でアッコが偶然シャイニィロッドを入手してから、アーシュラ先生はいつかアッコが自分と同じ希望と絶望を味わうんじゃないかと心配してたんだねぇ。

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七つ目の言の葉を集められなかったことが、自分には何か欠陥があるかのように感じて、大きく力を弱めてしまったのだと思う。シャリオ・ショーをやっていたのが言の葉を集める前なのか、集めようとして失敗した後なのか分からないが、もうシャリオではいられないと感じてアーシュラと名を変えたのなら、後なんだろうなぁ。

自分で力をセーブするような魔法をかけて、それで力が弱まってるのかもしれないし。シャリオは何を信じられなかったのだろうか。

第21話も、アッコが気持ちのすくようなバカっぷりを発揮して清々しかったわ。一直線に突っ走るバカは本当に気持ちがいい。この他人の目を気にしない感じがアッコの魅力だ。キョロキョロしてるお利口さんは、清々しさがないからな。

親友にするなら、空気を読まずに突っ走ってくれる奴だし、そいつの親友でいたいなら自分もそうあらねばならないし。アッコの必至さや、全然賢くない狡さは、バカゆえの魅力だよ。こういうキャラを作らせたら旧ガイナックス勢は上手いよなぁ。

最終回はきっと友情に溢れた素晴らしい回になるだろうな。

アッコが全然飛べないのも、最後の言の葉の良い伏線になってると思う。






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「有頂天家族2」第8話 感想(海星の秘密) [アニメ/特撮]

このどこにも隙のない完璧に近い面白さ。1期も良かったが2期はさらに素晴らしいな。

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ラストのところでついに海星が矢三郎に姿を見せない秘密が明かされるのだが、これが切ない。しかも、父の総一郎が弁天の姿を見ると化けの皮が剥がれてしまうことと関係していて、何とも見事。これは放送が終わったらすぐに原作を読まなきゃな。

この原作はアニメを観てからでも充分に楽しい。文章がおもしろいから筋がわかっていても関係なく良い読書体験ができるよ。

映画と違ってテレビの方はネタバレのあらすじとかも書く自主ルールになっているのでバラすけど、矢三郎は海星のことがドストライクで、メロメロになるくらいにタイプ過ぎたために、彼女の前ではウソがつけず、人間形態を保てないのだ。これは下鴨総一郎が弁天を見ると化けの皮が剥がれて狸に戻ってしまうのと同じで、肉体的にどうしようもないことだった。

矢三郎は幼少期からそうだったらしく、自分を見るとだらしなく狸の姿に戻ってしまう矢三郎のことを、内心では嬉しく思いながら、表面的にはだらしない男だと見下して、本当は嬉しいのに自分が近づいて姿を見せることで矢三郎の格好悪い姿を衆目に晒してしまうことが忍びなく、それで姿を隠していたのだった。

海星は女の子で早熟だから、総一郎が弁天に対して同じ感情を心の奥底で持っていたことも知っており、それで弁天を深く憎んでいた。また、自分も弁天と同じ女なのだとも理解していたので、それが一層悔しくて腹が立って弁天にも当たり、矢三郎にも当たり、多分自分自身にも当たっていたのだろう。そして、早熟であっても子供でもあるので、愛する人と普通に結ばれ、たくさんの子をなした下鴨家の母である桃仙が好きだったのだ。桃仙のように、愛する人と普通に結ばれたかったようだ。

これは男ならわかる話で、まぁ女も同じだろうが、なかなか昨今表現しにくいことを書いている。男が結婚していながら肉体的にどうしようもなく惹かれる女がいると書けばフェミニストが発狂し、女も同じようなことをすると書けばフェミニストが喜ぶというフェミの価値観だけを暴力的に押しつけられてきたからね。そりゃもうあいつらの抗議なんて酷いもんよ。解放同盟と変わらん。経験者は語る。

幻冬舎だってこともあるだろうが、前よりは緩くなってきたのかもな。それに、書き方も上手い。本来本能丸出しの獣である狸が主人公だし、弁天を描きながら海星を対比させてるわけだしな。これは面白い。素晴らしいよなぁ。

海星のくだりは、あの設定だけで凡百のアニメを凌ぐ魅力に溢れてるわ。これがまさに原作力。作家の創造性の素晴らしさですよ。

ところで、夷川呉一郎が、仲が悪かった父親が死んで即家に戻ってきていたが、金閣銀閣が大人しく従ってる辺りがなんとも怪しい。偽電気ブランの製造は海星が切り盛りしているらしいが、まず間違いなくひと悶着あるな。

弁天と二代目も一触即発状態だし、呉一郎はなんか企んでいるし、天満屋はウザいし、矢三郎は金曜倶楽部に入れられるし、矢二郎は旅に出るし、ネタが詰まるだけつまってて、最終回まで隙なく面白い展開が続くのは間違いないよな。

個人的に「ID-0」と今期1位を競ってる作品だが、映像の美しさや手描きのアニメーションの魅力に満ちていることなどを加味すると、こっちになるかなぁという気がする。

「ID-0」はオリジナルであれだけ面白いというところが評価ポイントだけどね。

谷口悟朗もやっぱ凄いんだわ。

今期は力作揃いでアニメ視聴にも力が入るよ。いつもこんなのが1、2作品あるといいのだがなぁ。





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「ID-0」第8話 感想(移動天体はオリハルト回収装置) [アニメ/特撮]

先週ハッキリと聞き取れなかった音声データが復元された。

それによると移動天体はオリハルトの塊のようなものではなく、未知の文明が放出したオリハルト回収装置で、オリハルトはゴミのようなものらしい。それを作った文明はすでに滅んでいる。

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ゴミというより有害な何かってことだろうなぁ。どんな形で有害なのかってことが問題なのだが、鍵になるのがストゥルティー号で匿っているアリスのようだ。

アリスはアリスガワ博士が提唱していたオリリアンで、オリハルトをコントロールする能力があるらしい。この辺はまだ謎が多くてよく分からないが、オリハルトに寄生されてオリリアンになるのか、オリハルトが接触した知的生命体をコピーしてそうしたものを生み出すのか、そういう生命体がいるのかどうなんだろ?

オリハルトが集まってくる性質があるのはどういうことなのか、それがどんな意味を持つのか、なかなか知りたいことが上手く隠されてわからない。粘菌みたいな鉱物状の生き物だと思ったんだけどなぁ。

先週の回で、サム・テイラーと仮面の男がそっくりだとわかったが、さらにアリスガワ博士の顔とも一致していた。この辺りは予想通りだが、アリスとの接触で見えた画像の男女とは随分と違う。サムと子安仮面がアリスガワ博士のクローンみたいなもので、元データになっている本人がイドっぽいのだが、イドは一度捕まって流刑処分になってるはずで、そのときに完全にデータが抹消されなかったのが不思議だ。

アリスガワ博士本人がどこかの惑星に流刑にされ、その際に乗せられた船に自分の記憶を移したIマシンを乗せて宇宙に放出したとか、そんな感じなのだろうか。

これはいろいろわからなくなってきた。かなり面白い。

カーラ・ミラ=フォーデンは肉体を維持されており、子安仮面から元の肉体に戻る条件として情報提供と裏切りを持ち掛けられた模様。

さらに移動天体が人口1000億人の惑星を襲ったとの情報も入手したが、不自然に組み込まれた情報なので本物かどうかは不明。

毎回息をつかせぬ面白さが続いているよな。

マジですごい。

一番気になったのは、オープンリールを使っていたことだけどな。





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「ウルトラマンネクサス」(2004年作品)第21~28話 視聴 [アニメ/特撮]

そうか、ウルトラマンなのに死ぬのか・・・。いつもニコニコしていたハヤタって超人だったんだな。

たしかに、モロボシ・ダンも死にかけたしな。

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物語中盤でウルトラマンになれる人間がデュナミストと呼ばれていることが判明。初代ウルトラマンは「ULTRAMAN」の彼だった。「ULTRAMAN」そのものが初代を再構築した作品だったから、「ウルトラマンネクサス」があの作品の続きで、姫矢准が2人目のウルトラマンという設定も納得のいくものだった。

モロボシ・ダンの名前を出したが、変身して怪獣と戦い続けることで肉体が疲弊していくというところもまた、昭和ウルトラマンシリーズを知り尽くした、というより、ウルトラマン世代ならではのアイデアの使い方だなと思った。長谷川圭一さんや谷口悟朗さんは尊敬する同世代の表現者で、体験してきたものが同じだから、原体験がなんとなくわかってしまうんだよな。これからは平成シリーズで育った世代が作っていく番だから、みんな子供たちのために頑張るんやで。

ネクサスの話に戻るが、2人目のデュナミスト(適能者)であった姫矢准は、肉体の限界を超えるまで戦い続け、最後はダークメフィストもろとも自爆して果てた。死んだときは絶句したよ。「た、助からないのか・・・」みたいな。大人に厳しいウルトラマンであり、心配して念を送ってくれる上司もいないという。ゾフィーやセブン上司って思いやりがあったんやな。ネクサス上司は何しとんねん。

大人に厳しいウルトラマンであるネクサスは、次の獲物として千樹憐に白羽の矢を立てる。大人どころか、次のターゲットはプロメテウス・プロジェクトで生まれた子供でまだ若い。遊園地で働くこの子も、まだ数回しか戦っていないのにすでに死にそうになっている。銀色の巨人さんが天使なのか悪魔なのかよくわからん。ハヤタくらい丈夫で鈍感そうな子をなぜ選べないのか?

ネクサスさんは人選に難があるな。軽く人殺しになってる。上司も同罪だ。

世間的な評判はあまり良くない作品だが、こうして視聴してみると、ドラマに振幅があり、個性的なキャラクターたちを良く描けていて、テーマもはっきりして面白いぞ。低予算なのは認めるが、それは作ってる側には関係ない。むしろ低予算で制限された部分を設定として落とし込んであり、見事だと思う。序盤のインパクトが強すぎてコレジャナイ感が印象に残りすぎたのだろう。でもそれが狙いでやってるんだから全然失敗じゃない。

独特の世界観ゆえにのちのウルトラシリーズに反映されにくいだろうが、これは作っておくべき作品だったはずだ。平成シリーズの後を引き継いだ作品で、視聴側に混乱があったのだろうが、これは昭和シリーズの再構築であって、脚本としての再構築が「ウルトラマンネクサス」なら、映像としてものがn/aなのだろう。再構築であると同時に、プロトタイプなのだ。

平成シリーズとはあまりに違うので、平成のファンが怒るのはわかるが、昭和シリーズのファンはこれは認めておかないとな。怪獣の怖ろしさや、ウルトラマンになることの覚悟、人間が希求するものの正体などを1回リアルに表現しておくのは必要だったはずだ。

ここから「ウルトラマンメビウス」や「ウルトラギャラクシー大怪獣バトル」に繫げていっただから、結果としても成功じゃないのかな。平成シリーズをあのまま続けていたら、昭和シリーズと同じように行き詰っていた。

とにかくこれは平成シリーズの延長線にあるものではない。

「ウルトラマン」も結局は言葉で出来ているのだから、広義の文芸であって、文芸的な新しい試みは、絶対に次に繋がっていくのだ。言葉は可能性を拡げもするが、同じ言葉で同じようなものを作り続けているとすぐにそれは限界に行き当たる。アヴァンギャルドは次のスタンダードを生むのだ。

2004年にこれを作ったから、「ウルトラマンメビウス」で昭和と平成が繋がった。2007年に「ウルトラギャラクシー大怪獣バトル」を作ったから「ウルトラマンゼロ」の方向性が生まれた。まったく異種のようでありながら、平成シリーズの後に再構築された昭和ウルトラマンを作ったのは正解だった。

作品としても、かなり面白い。





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