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「クロムクロ」第26話・最終回 視聴 [アニメ/特撮]

はい、完走です。

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本編の感想で書いたのか、ランキングの方のコメントで書いたのか忘れましたが、富山でグダグダやってるだけだと話が弱くなるなぁと思っていた通り、大きくは拡がりませんでした。はい。

好きな人はどうぞって感じでしょうか。

良かった点としては、脚本が巧みで、演出が丁寧だったこと。

悪かった点は、原案の設定がかなり浅く詳細不足で、後半の作画が稚拙だったことでしょうか。

個人的にこの程度の話では満足できなかったので途中で切ったのですが、会社内の事情で最後まで視聴したところ、脚本と演出だけの作品だったなという思いですね。そこはとても巧みで、脚本だけで最後まで視聴できるくらいに考えられている。ロボット同士の殺陣のシーンの演出も良く、前半の戦いには目を見張るものがあった。岡村天斎監督の力量がよくわかり、その部分は本当に良かった。

むかし出版社におりましたが、例えばこういう作品を漫画として持ち込まれてもそのままでは採用しづらい。読んで、なかなか上手いから連載向きの人だなと思う一方で、エフィドルグはこの程度の設定では弱すぎるなとか、商業作品という打算の産物に適合しすぎていて能力的に底が知れてしまってるなとか、そもそも魅力に欠けるなとか、いろいろと考えるところがある。編集としてこのままではちょっとと思ってしまう。

「グラスリップ」のときもそうでしたが、これがこの人のベストなんだろうか、もしこれ以上の能力がないなら原案は別の人に頼んだ方がいいだろうかとか、なぜもっと練った上で作品を書かないのだろうかとか、編集として手を加えなきゃいけないところが多くて、もっと言えば書き始める動機が見えてこないから大変困る。しかも、楽屋落ちを入れてくる。

制作能力はある。でも、制作に至るパッションは希薄。作家性に乏しく、なぜ作品を作っているのかよくわからない。創作意欲の源泉がどこにあるのか見極められない。漫画ならともかく、作るのに数億円かかるアニメで、こういう作品を何本もやられると、P.A.WORKSという会社に何か大きな欠陥があるように思えてしまう。

切る前の感想でも書きましたが、世の中には表現者という人たちがいて、いかんともしがたく作劇に人生を捧げる業の深い人間たちがいる。この人は表現者として生きるしかない人たちなんだなと思えば、編集としてその人のためにできることは何でもしてあげたいと思える。前世で何をしでかしたのかそんな人間がいるんですよね。

でも、P.A.WORKSにはそういうものはあまり感じない。制作能力のスキルは認めるけども、そもそもなぜ制作しているのかよくわからない。作れるから作ってる、そんな打算が見え隠れする。

大人になってまでもアニメを観てるのは、そこに才能が集まってきてるからであり、新たな才能に巡り合いたいと願っているからで、才能の輝きがないのに制作だけは出来るという人は、正直さほど関心がない。下手くそでもなんでも「こいつスゲーな」と思える部分はないと、惹きつけられない。「クロムクロ」は巧みではあっても、魅力に乏しい作品でした。

由希奈と剣之介のロマンスは良く描けていたと思います。でも、じゃあなんでロボットアニメにしたんだろう、必要あったのかと創作の核心に大きな疑問がついてしまう。モヤモヤがあるのはこんなところですね。


昨今、批評というのものがなされなくなり、直情的反応を賛同と拒絶の立場から応酬しあうだけの言論に終始しておりますが、そんなことをやってるから「面白いけどなんか変。どっかおかしい」と感じたときに、気持ちの収めどころが見当たらず、オレは賛同の立場だからまあいいやで終わってしまう。それでは、作り手と受け手の間の関係が希薄になるばかりじゃないですかね。作り手は金さえ払ってもらえればいいや、受け手はリビドーが刺激されればいいやでは、物語は死んでいくばかりですけどね。

直情的反応でしかアニメと関われない昨今の視聴者はお気の毒です。

自業自得ですけどね。

まあ、論評としてはこんなものでしょうか。順調にスキルアップを果たしつつあるP.A.WORKSに必要なのは、細田や新海ほどじゃなくても、京アニの山田尚子、東映動画の(現在の所属は不明)の松本理恵のような、表現者ですね。

そろそろ新たな才能の発掘を念頭に置いて、活動してほしいものです。作る力はかなり高まってきたんじゃないでしょうか。






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Twitterまとめ投稿 2016/09/30 [日記]


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Twitterまとめ投稿 2016/09/29 [日記]


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「蟲師・続章」第7話 感想 [アニメ/特撮]

第7話「日照る雨」は、雨女の話。

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日照りの続いた夏のある日のこと、手持ちの水が心もとなくなってきたギンコは、雨の匂いのする旅の女とすれ違う。その女は雨を告げて歩く不思議な女として有名で、彼女の行く先々、どんなに日照りが続いていようと彼女が姿を現すと途端に雨が降ってくるのだった。

遠くから雨乞いの声が聞こえてくる村があり、女がそこに姿を現すと村人は口々に喜びの声をあげ、備蓄の食糧で女をもてなした。雨はまだ降っていなかったが、女がやってきた以上必ず雨が降ってくると村人たちは信じ切っており、誰も先のことを心配する者はなかった。

その村には、旅の女を好く若い男がいた。男は、夏になるとすぐに日照りに見舞われる村を救うため、村外れに新しい井戸を掘っていた。その男は旅の女に求愛するが、彼女はひとつところに留まることを好まず、男の申し出をやんわり断るのだった。男はそうやって雨が降り始めるとすぐに別の場所へ旅立ってしまう彼女をいつまでも待つ生活を何年も続けていた。

ところが、今年は少し様子が違った。

女が村にやってきて、数日が経つというのに、いっこうに雨が降らない。蓄えの水も食料も女を歓待する際に使ってしまい、村には水がなくなりかけていた。陽はますます強く照り付け、作物は枯れ、村人の女への風当たりは日に日に強くなっていた。

それを見かねた男は、何とか水を出そうと炎天下の中で必死に井戸を掘った。その無理がたたり、とうとう男は倒れてしまった。話を聞き駆け付けた女は、男の手を取り、必至に名を呼んだ。旅の女は、決して男を嫌っていたわけではないのだった。

幼き日、女は「逃げ水」と呼ばれる蜃気楼を捕まえてしまったことがあった。決して追いつけないはずの蜃気楼に彼女は追いつき、そして取り憑かれた。水のように、地と空を循環しているだけの蟲を体内に取り込んでしまった彼女は、自分の身体の中の水分で雨雲を呼び寄せ、雨を降らせるようになってしまったのだ。彼女が住む村も、毎年のように渇水に苦しんでいたが、彼女が雨を呼ぶようになってから連日大雨に見舞われ、長雨のせいで幼馴染が死んでしまった。自分のせいだと気づいた女は旅に出て、ついに一か所に留まることはなかった。

だが、そんな自分を好き、所帯を持とうと言ってくれた男が死の淵にあるのに、飲ませてやる雨は降らない。彼女はとうに枯れたはずの涙を流した。すると、それがきっかけになってようやく雨が降ってきて、倒れた男も回復した。

ギンコは女に向かって、目的のないその蟲を離すことはできないが、雨がなかなか降らなくなってきたのならば、じきに蟲は死ぬだろうと告げた。蟲が死んだとき、女はついに定住することが出来る。


というお話しです。


雨男とか雨女とか言いますが、それを物語に落とし込んだ逸話です。蜃気楼という、追いかけても追いつけない影を捕まえてしまうという不思議さから、雨を降らせる女、日照りの日に雨の匂いのする女と飛躍させていく空想力が素晴らしい。雨の匂いがするという一言で随分とリアリティーが出るものですね。

日本は八百万の神がいる国、とは誰もが言いますが、石ころにも神が宿るとか、八百万人の神様がいるという物言いは、神からは随分とかけ離れた思考だなと常々思っていて、神が宿るという物言いには、神を本当に観察していたという事実が抜け落ちてしまっているのではないかと感じていました。

「蟲師」のおもしろさは、日本人が本当に森羅万象に神を見出していたころの心象を、文明開化という名の西洋化が起こりつつある時代の狭間を上手く使って再現してあることではないでしょうか。蟲という存在を使って、不思議な事象に解決をもたらすことで、西洋的な結論を上手く避けつつ、事実が語られている。

事象の中に生命を感じる感性こそが、神を見出していた根源なのだろうと改めて考えさせてくれるところが好きですね。

光脈と繋がり、目的を持って生きる蟲と、目的もなく、自然と一体になって世界を循環している蟲を描き分けている逸話でした。








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Twitterまとめ投稿 2016/09/28 [日記]


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「モブサイコ100」第12話・最終回 感想(2期あれば観る) [アニメ/特撮]

最後まで全然退屈しなかった。

超能力の話なのに、中二病を全否定する大人の視線がたまらんわ。

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爪側にいためっちゃ強い少年がボスの息子か何からしく、まだまだ続きがありそうな感じだったので、2期にも期待できるな。売れなかったらないのだろう。

力の強さと、人としての強さの両方を提示して描いてあったところが好ましかった。自我がブヨブヨに肥大化した人間が好む万能感を伴った「強さ」はどちらかというとバカにされていて、様々なタイプの強さを、それぞれの人間が持っていたり、人として成長する中で手に入れたりするところが、オレにとってこの作品の魅力だった。

ラノベのバカっぽさを際立たせてくれた作品だった。ラノベに出てくる万能主人公の滑稽さが浮き彫りになってたわ。あんなの、「ごちうさ」と一緒で、読者を傷つけないために配慮しまくった挙句の、滑稽極まりないウソだからな。

「さすがです、お兄様」みたいな作品ばかりアニメになっていた時代には二度と戻って欲しくないわ。

そのためには、もっとまともな批評をしていかないといけない。人は使ってる言葉によって思考が固まってしまうから、「俺TUEEEE」しか言葉を知らないと、「モブサイコ100」ですら「俺TUEEEE」と定義してしまう。間違ってるのに、それしか言葉を知らないから、自分の間違いに気づかない。そして、金に困窮している出版人やアニメ関係者が、そいつらの金をあてにしてバカが傷つかないように配慮し始める。

こんなことやってたら物語が死ぬから。

バカの命より物語の方が大事やねんで。




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Twitterまとめ投稿 2016/09/27 [日記]


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「蟲師・続章」第6話 感想 [アニメ/特撮]

第6話「花惑い」は、とある里外れにある庭師の家に代々伝わる桜の老木の話。

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里外れにある庭師の家に、代々伝わる1本の桜の老木があった。ある日、庭師の夫婦が桜を見上げると、ひとりの女の赤子が捨てられているのを見つけた。赤子は可哀想に、桜の木から垂れていた薄紅色の樹液のようなものをすすって生き永らえていた。

哀れに思った夫婦はその子を引き取ったものの、妻はすでに乳が出なくなっており、また女の子も乳を好まず、仕方なしに妻は桜の樹液のようなものを布に染み込ませて与え続けた。

女の子はすくすくと育ったが、明らかに発育が遅く、幼い兄弟たちが成人し、中年に差し掛かってもまだ幼子のままだった。やがて夫妻は亡くなり、女の子は所帯を持った兄夫婦に引き取られた。

ある日、その家にギンコがやってきた。ギンコは桜の名木の噂を聞き、道すがら里の女に名木の場所を問うて、一緒にその庭師の家に来たのだった。里の女の母は病に臥せっており、庭師の家が良い薬を出すと聞いて分けて貰おうとやってきていた。ところが、その年は桜は花を咲かしておらず、老木には葉すら生えていなかった。

ギンコが花のない桜のガッカリしていると、その縁に薄紅色の樹液のようなものが垂れているのを見つけた。それは桜の木に憑く蟲の一種だった。そのことを誰かに伝えようとしたとき、桜の木の下にいつしか一人の若い娘が佇んでいることに気づいた。娘は目と耳が悪く、傍にいるギンコに気づくそぶりも見せなかった。

そこへ、庭師の男がやってきた。ギンコは薬を出すというから医者だとばかり思いこんでいたが、男は代々続く庭師で、草花に精通していくうちに良い薬を調合できるようになったのだと言ういった。しかし、ギンコには心当たりがあり、桜の木に垂れる樹液のような蟲を薬と称して他人に出しているのではないかと詰問した。、男はそれでも必要とする者もいるとギンコの話を一顧だにしなかった。薬を貰いに来た娘は、調合の間、一晩庭師の家に泊まることになった。

その夜、桜の樹液を取りに来た男を観咎めたギンコは、この蟲に罹った樹木は大変な長寿になるとされているが、人には毒なのですぐにやめるよう申し付けた。だが男はやはりいうことを聞かなかった。もしやあの目と耳が不自由な女にも与えているのではないかとさらに問うと、やっと男はあの女の身の上話をはじめた。女は、3代前から家にいるというのだ。樹木ばかりでなく人をも長寿にする蟲に関し、庭師の家は代々詳細な記録をつけており、ギンコにそれを見せると申し出た。

だが、男の話にはウソがあった。実な女は8代前からその家にいたのだ。それを見抜いたギンコは、薬を貰いに来た若い女のことが気がかりになり、明かりのついた部屋の襖を開けると、男が眠り薬で寝入った娘の首を刎ねようとしているところだった。男の家は、桜の木に接ぎ木をするかのように、代々若い女の身体をその娘に継ぎ足していたのだった。ギンコは里の娘を助けるために行燈の火を蹴倒して、家に火を放ち、その隙に里の娘を救い出した。

瞬く間に燃え広がった炎は、家を焼き払い、傍にあった桜の名木に燃え移った。名木に憑いていた蟲が死に絶えようとしたとき、庭師の家の離れに代々匿われてきた女の継ぎ足した部分からも蟲が抜け出し、女は瞬く間に枯れ果てて死んでしまった。


というお話しです。


やや詰め込みすぎな話なんですが、庭師の家の桜の名木と、その枝のところに捨てられていた女の子というのが対になっており、どちらも蟲によって生き永らえており、庭師はその木と娘がより長生きするよう手助けしてきたという筋立てです。

庭師は樹木の医者のような立場であり、人に対しても医者のように薬を出します。また薬を出すだけでなく、接ぎ木という手術も行います。樹木では当たり前にされている接ぎ木を、人間に置き換えたらこんなにグロテスクな話なんだよというメッセージですね。現代医療への疑義というより、現代医療のありようと生命の自発的な再生力を対比させた描き方です。

Cパートでは、焼けながらも全焼を免れた桜の木が、再び花をつける場面があります。もうそれは蟲の力も人の力も借りておらず、自力での再生です。過保護に守られてきた桜の木は、何度も手術しなければ花を咲かせることはなかったのに、焼け落ち、死にかけ、守ってくれる蟲も死に絶え、医者である庭師が行方不明になると、途端に強い再生力を発揮して蘇ったわけです。生命力の根幹についての考察があるのでしょう。

たぶんに自然主義的主張のきらいがなきにしもあらずですが、「蟲師」という現代とは違った視点で自然科学を観察するという作品なので、「本当に現代の医療方針でいいのだろうか?」という視点はあってしかるべきかもしれません。個人的には自然主義・ナチュラリズムは、現代病の一種だと思っているのですが。

第6話は、美しい桜と美しい女を愛でる庭師一族の、異常な愛情のお話ですね。

名木を名木たらしめようとあがいてきた庭師一家の努力と、焼けただれた老木に咲くまばらな桜の花を美しいといえてしまう旅人との感性の違いが素晴らしい逸話でした。




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Twitterまとめ投稿 2016/09/26 [日記]


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「ウルトラマン オーブ」第12話 感想(映像が最高すぎた) [アニメ/特撮]

正直、ミニチュアを舐めてたわ。

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「ウルトラマンX」のときは、「オレはジジイだからミニチュアでもいいけど、もうそろそろCGに切り替えていかなきゃいかんのじゃないの?」と思って、そう記事にも書いたんだけど、テレビシリーズの特撮でこれだけやられるとやっぱミニチュアも捨てがいたなぁと。

CGはソフトウェア投資が必要なので(汎用ソフトだけでは負ける)やらないわけにはいかないんだけど、ミニチュアでこれだけ出来るとCGの方が見劣りしちゃうかもしれないし。実写とミニチュアとCGの合成がいまのところはベストなんだろうか。

「ウルトラマン オーブ」は場面ごとの構図がよく考えてあって、シーンごとに何度も繰り返し観てる。途中で切った「ウルトラマンX」も観た範囲ではかなり良かったけども、Xさんは役者が嫌いで視聴態度がイライラモードだったからなぁ。でも、オーブさんはさらに良くなってると思うよ。オレは散歩好きで街中をよく歩くから、「あーこんな視線で怪獣を見せるのかぁ」とか、画面の奥行きとか唸ってるわ。ファンの低レベル化に伴ってどんどん平面化しているアニメとは対照的だ。

あとは色彩設計だよなぁ。色彩設計はまだかなり改善の余地があると思う。それと脚本。脚本なんてそれこそ自由なんだから、今回のオーブみたいなチャレンジ精神のある作品をどんどん試して欲しいと願ってる。

第12話は、ジャグラーさんの目論見が失敗に終わったことで決着がついた。マガオロチとの決戦は良かったよ。マガオロチが強そうに描けていた。それをゾフィーとベリアルのフュージョンアップじゃなきゃ倒せないとか。オーブリングの奪還とカード入手の経緯がちょっといい加減だったくらいか。マガオロチのデザインがもっとわかりやすかったらよかったなとかはありますが。

最近昭和ゴジラを全部観て感想を書いたんだけど、別に禍々しくトゲトゲ一杯にしなくても、演出次第で怪獣は怪獣らしく見えるんじゃないかな。めっちゃ強い感じで演出されているのに、なんか印象が薄い。やっぱり情報過多になってるんじゃないの? 眼の印象って大事なはずだけど、マガオロチの眼に関して何ひとつ記憶に残ってないわ。

ソフビにしたときに見栄えがいいのかな。ソフビが売れるなら仕方がない。


来週はクールまたぎの総集編。2クール目はオーブの過去にまつわる話になりそう。過去を克服していくストーリーなんだろうけど、冒険的な脚本が展開されることを望みます。はい。


「シン・ゴジラ」がめっちゃ面白かったし、「ウルトラマン オーブ」は絶好調だし、新しい仮面ライダーも始まるし、特撮もぼちぼち視聴していこうと思ってる。

昭和の特撮ものを再視聴して感想を書くことも検討中だけど、長いんだよな。4クールだもんな。

「光速エスパー」とか、どんな話だったかうろ覚えのものもあるし。

死ぬ前にもう一回観ておこうかなって。「白獅子仮面」とか。「魔神バンダー」とか。





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