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「地獄少女 宵伽」第5話 感想(死んで当然のガキ) [アニメ/特撮]

人を呪わば穴二つ、厳しいですなぁ。

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あんなクソガキ、死んで当然だと一瞬思うけども、それでも人を呪ってはいけないという戒めが厳しすぎる。宗教的感覚というのは本当に面白いものですな。

死んで当然、殺されて当然な人間などいないという前提があるわけですが、その前提を作り出しているのが宗教。この世に生まれてきた意味は必ずあり、存在する意味もあると宗教の中で決められているから、死んでもいい人間や殺されてもいい人間がこの世からいなくなる。法治はその上に成り立っているので、法治主義は宗教と無縁ではないんですよね。

宗教感覚を失うと、法治主義も形骸化して死んでいく。実に厳しい。死んでもいい、殺されてもいい人間がいないという宗教によって成り立った前提があるから、裁きが成り立つ。宗教観が失われると、裁きは基本的に私刑になる。恨みのある一家を焼き殺そうとする人間の私刑と、理不尽な死を迎えようとした人間が集落すべてを焼き殺した私刑。そのどちらも同じ穴の狢だったわけですな。厳しい。

死刑の賛否は、ともにその宗教観が作り出した前提を、死刑という制度が壊すか壊さないかの賛否であるので、本当はどちらも正しい。ところが、進歩主義という唯物論者が死刑に反対してきたことから、死刑反対=進歩的、死刑賛成=保守的と捉えられている。でも本当はこうした争いは間違いで、主に犯罪が少ない場合は死刑が免除される方向に進み、犯罪が多発している場合は死刑が執行され易い方向に自然と進むのが好ましい。死刑という制度は、廃止されるのではなく免除されるのが本来の死刑がなくなっていく姿なんですけどね。

第5話で面白かったのは、閻魔あいの仲間じゃなさそうなのにいつも傍にいた少女の過去のいきさつが分かったところ。長屋の店子たちのために電気を引く約束を取り付けた商社勤めのエリートサラリーマン(エリートも昔は長屋に住んでいた)が大家に恨まれ、親の恨みが子に伝わり、その子は親が恨む家の子を殺そうと目論むも逆に自分が死んでしまう。

自分の子が死んで怒りが収まらない大家と、表面的には感謝しながら内心でエリートを激しく妬んでいた店子たちが結託し、エリート一家を焼き殺してしまう。その際に何の罪もないのに焼き殺されてしまった少女が逆上して激しい怒りの炎を生み、何もかもを焼き尽くしてしまう。それが少女の償うべき罪とされているのが面白い。

何の罪もなく少女は殺されているので、因果応報としては復讐の炎で焼き殺してもいいはずなのに、それでも人を恨んではいけない、死んでいい人間などいないことから、地獄少女となって罪を償わなければいけない、この前提がなかなか面白いと思いますね。

因果応報はあくまで世の理を司る何者かが与えるもので、人が人を恨んではいけない、人にその資格はないという厳しさが徹底している。

毎回悲惨な話ですが、通底している部分はよく考えられていて優しいわけですな。

オレなんかは人間ができていないので、ハコ乗りしてはしゃいでいるガキが死んでせいせいしているからね。

首だけ飛ばされて死ねばいいのにとか思ってしまうけども、それではいかんという戒めのお話でございました。





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