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「信長の忍び~伊勢・金ヶ崎篇~」第41話 感想(撤退戦開始) [アニメ/特撮]

金ヶ崎の退き口を宣伝したのは秀吉といわれているはずだが、間者に噂話を広めさせて自軍の有利を導くのではなく、自分の名声の構築に利用したのはおそらく初めてじゃないかと思われる。

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金ヶ崎の退き口は負け戦の撤退戦ではあるが、これほど有名なのは当時の秀吉の宣伝があったからで、やはり天才なのだなと感心する。負け戦なんてものは勝った方の記録しか残らないものだから、普通はろくでもないか書かれ方をして風評に大きな傷がつくものだ。しかも信長の場合、妹婿に裏切られているのだから、彼のような新興勢力の大名が風評被害で没落していくきっかけになってもおかしくなかった。

ところが実際はまったく逆の結果になる。金ヶ崎の退き口はまるで勝ち戦のような宣伝のされ方をして、京での信長の評判は悪くなるどころかかえって高まった。織田軍は風評において被害をこうむることなく、逃げ戻った京で何食わぬ顔ですごしたのちに、岐阜城へ戻って態勢を立て直した。

あまりに見事な撤退ぶりだったために、後世でも多くの考察がなされる原因になっている。

方向性としては、織田軍を追い詰められなかった原因を、朝倉家か浅井家に求めるものが多かったはずだ。これは金ヶ崎の退き口が織田軍側の宣伝工作によって後世に名の残った撤退戦だったことから、織田軍に有利な資料をあえて控えめに見積もり、別の朝倉家などの文書から類推した影響だと思う。まぁ反動である。織田軍がいかに凄かったかばかりが書いてあるから、織田が凄かったのではなく、朝倉家が1枚岩ではなかったとか、浅井家が本気で織田を討ち取りに来ていなかったとか、秀吉だけでは荷が重かったので明智光秀、徳川家康、前田利家(当時は三下)などが協力したのだとか、足利義昭発案の戦だったために織田ははなからやる気がなく早めに撤退できたのだとか言われるわけだ。

だがやはり、大々的な宣伝工作をして風評を拡げまいと画策したことからも、織田にとってこの負け戦はかなり致命的になる公算が高く、慎重に影響を最小限にしたいという意思があったのだ。朝倉は思惑通りに攻め滅ぼせなかったが、決して織田信長が弱いわけではないと示したいと願うほどには、酷い撤退戦だったのだろう。信長が浅井家の裏切りをギリギリまで信じず、それが原因で部隊壊滅の可能性もあったと考える方が自然だ。

織田信長は決して連戦連勝だったわけではなく、初戦や局地戦では結構派手に負けている。大事な合戦で必ず勝っていたので目立たなかっただけだ。そして、こうした局地戦の敗戦に限ってはさほど宣伝工作などはなされていない。それだけ金ヶ崎の退き口はヤバい戦いだったか、もしくは、他の大きな敗戦に秀吉が関係しておらず、工作がなされなかったかのどちらかだ。

宣伝は柴田勝家の甕割りの逸話などもある。織田軍として宣伝工作を重要視していたのか、織田が強く大きくなったから織田のものばかりが後世に残ったのかは定かでない。

秀吉の殿大将そのものに疑念を持つ向きもあるようだ。立場的には明智や池田の方が上との理由だ。しかしなぁ、池田は本体を率いる立場なので殿大将は無理じゃないかな? 信長自身が真っ先にスタコラ逃げてるし。それに、殿は死ぬ可能性が高いから、秀吉より光秀を重要視していたならば、光秀温存、秀吉抜擢でも全然おかしくない。撤退戦が成功するという前提で考えすぎだと思う。

負け戦でありながら、殿を任された秀吉は、後に信長から多額の恩賞を得て大出世する。

そして劇中にもあった通り、金ヶ崎の退き口朽木越えでは松永久秀が大活躍する。

後に何度も裏切りながら放免されたのは、このときの恩義があったからかもしれない。





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